学校で習う日本史は、年号や出来事の暗記が中心で、生活のリアルな側面まではなかなか教えてくれません。
しかし江戸時代には「大名を疲弊させるための参勤交代」「仕事がほとんどなかった武士の一日」「お金の有無で待遇が天と地ほど違った牢屋事情」など、驚くべき実態が存在していました。
参勤交代
江戸幕府が大名に課した参勤交代は、単なる挨拶や儀礼のための出仕制度ではありませんでした。
大名は1年おきに自国の領地と江戸を往復しなければならず、その際には数千人規模の家臣を引き連れて何百kmもの道のりを徒歩で移動、移動にかかる費用は莫大で、現代の貨幣価値に換算すれば一度で数十億円に及ぶとも言われています。
さらに、大名の妻や子供は江戸に常駐させられ、事実上の人質として扱われました。
これは幕府が大名の経済力を削り、反乱を防ぐための徹底した支配策であり、大名にとってはまさに「鬼畜の制度」と言われても仕方のないものでした。
武士の一日
戦国の世を経て訪れた江戸時代は、長い平和の時代でした。
そのため「戦うこと」を本分とするはずの武士は、実際には戦場に立つことがほとんどなく、多くの武士の仕事は役所での事務作業や大名屋敷の警護などに限られ、中には週に数回、数時間しか役目がない者もいたとされています。
しかし、その一方で生活は苦しく、特に下級武士は収入が少ないため借金に頼らざるを得ない状況で、幕末の頃には武士全体の借金総額が国家予算に匹敵するほどに膨れ上がり、財政の逼迫は幕府の統治力を弱める要因となりました。
華やかに見える武士の姿の裏側には、意外なほどの困窮と苦悩が隠されていたのです。
牢屋事情
現代の刑務所にも厳しさはありますが、江戸時代の牢屋事情はまさに、生き地獄と呼べるものでした。
捕まった者は身分や経済力によって待遇が大きく分かれ、所持金があれば広い部屋である程度の快適さを得ることができましたが、無一文の者は何十人もの囚人とともに狭い牢に押し込まれ、不衛生な環境で病気や暴力にさらされる日々を送らざるを得ませんでした。
牢屋の中でさえ、金があれば生きやすいという、身分社会の縮図が存在していたことは、江戸という時代の現実を象徴しています。
まとめ
江戸時代というと「泰平の世」として穏やかなイメージを持つ人が多いかもしれません。
しかし、参勤交代による大名の疲弊、仕事がなく借金に苦しんだ武士、そしてお金によって待遇が変わる牢屋の実態を知ると、その裏側には厳しい現実があったことが見えてきます。
江戸の裏側を学ぶことは、現代の私たちが社会の仕組みを考える上でも示唆に富んでいるのです。
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