生まれ育った家族でもない、同じ学校でもない、それでも一生の姉妹として助け合う、不思議で温かな関係が山形県鶴岡市の小さな集落に今も息づいています。
相手の決め方は、なんと「くじ引き」、少女たちが自らの手で引き当てた相手と生涯にわたる絆を結ぶ「ケヤキキョウダイ」という風習は、血縁に頼れない時代を生き抜くための知恵から生まれ、260年以上の時を越えて静かに受け継がれてきました。
今回は、その内容・歴史・背景、なぜこの風習が浜中集落にだけ残ったのかを探ります。
くじ引きで生涯の姉妹を決める日
山形県鶴岡市の日本海沿いにある浜中集落では、12〜13歳になった少女たちが、毎年12月28日に大坂神社へ集まります。
手渡されるのは、二つ折りにした稲わらのくじ、そのくじを引き同じわらを選んだ二人は、その瞬間から「ケヤキキョウダイ」義理の姉妹として生涯の絆を結びます。
くじを引いた後、少女たちはその稲わらを離さずに小国川まで歩き川へ流します。
この行為は「神前で結ばれた絆を自然の流れに託し、互いの人生を守り合う」という象徴的な意味を持つようです。
3日後の大晦日、キョウダイとなった二人は民家に集まり、丸餅を食べてから布団を並べて眠り、翌日の昼まで断食する初夜を共にします。
大人は一切関与せず、少女たちだけで儀式を取り仕切ることも特徴のひとつで、幼いながらも自分たちの手で生涯の関係を受け止める姿勢が印象的です。
この制度は該当者がいない年は開催されず、最も新しい実施記録は2015年、近年は人口減少により途絶えがちですが、風習そのものは今も地域の記憶にしっかりと刻まれています。
血縁より濃い人生のパートナー
ケヤキキョウダイとなった二人は、生涯助け合うことを約束します。
婚礼や葬儀などの人生の節目では必ず相手を支え、結婚式の場では実の姉妹より上座に座ることさえあります。
かつては、どんなに遠方に住んでいても、キョウダイが亡くなれば必ず葬儀へ駆けつけ、近親者として扱われたといいます。
血のつながりに勝るほどの絆として尊重されていたことがわかるでしょう。
思春期から老年期まで続く深い関係は「実の姉妹以上だった」と語られることもあり、精神的な支えとして非常に重要な役割を担ってきました。
なぜ浜中だけに残ったのか
東北地方には江戸時代から、地域の相互扶助組織として「契約講(けいやくこう)」という仕組みが広がっていました。
家長が参加し橋の修繕や共同作業を担い、さらにその下部組織として「若者契約」「子ども契約」「嫁組」「主婦組」など、世代別の組織まで存在していました。
ケヤキキョウダイは、この契約講の子ども版が独自の進化を遂げて残った可能性が高いとされています。
つまりケヤキキョウダイは、たまたま浜中に生まれた特殊風習ではなく、広域に存在していた相互扶助組織の一部が、この地域だけで独自の進化を遂げた結果と考える方が自然なのです。
この風習は現在、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選定され、次世代へ残す取り組みが進んでいます。
まとめ
ケヤキキョウダイは、少女たちが自ら選んだわらの一本から始まる、小さくて大きな人生の契りです。
血縁の有無ではなく、互いを支え合うという意思によって結ばれた関係は、社会の変化や苦難の時代を越え、260年以上も静かに続いてきました。
浜中集落に残された記録や記憶は、「つながりをつくる力は、血縁だけではない」という普遍的なメッセージを私たちに伝えてくれます。
人と人が寄り添い合いながら生きてきた歴史の証として、この風習はこれからも大切に語り継がれるべき文化遺産だといえるでしょう。
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