かつて国際線の輸送実績で世界一に輝き、日本の空を代表する存在だった日本航空(JAL)、しかし2010年1月、同社は巨額の負債を抱えて経営破綻しました。
その後、わずか約2年8か月で再上場、そこには徹底した経営改革だけでなく、巨額の公的支援や従業員の犠牲もありました。
世界一だったJALはなぜ経営破綻したのか?
1951年に設立されたJALは、日本の高度経済成長とともに急成長を遂げ、1970年にはジャンボジェット機を導入、大量輸送によって海外旅行の普及を後押しします。
1980年代には国際線の輸送実績で世界トップとなり、日本を代表する航空会社へと成長しましたが、その華やかな成功の裏では、経営上の問題が積み重なっていました。
当時のJALは、大型旅客機を大量に保有し羽田空港の発着枠不足や地方の航空交通を維持するという政治的な事情もあり、採算の悪い地方路線も数多く運航していました。
さらに、ホテルやリゾート事業への投資失敗、複雑な労使関係なども経営改革を難しくしており、2002年には日本エアシステム(JAS)と経営統合しましたが、抜本的な問題解決には至りませんでした。
そんなJALに決定的な打撃を与えたのが、2008年のリーマンショックです。
世界的な不況で海外出張や旅行の需要が激減し国際線の収益が急速に悪化、乗客が減っても航空機の維持費や人件費は簡単には減らせず、2009年4月からの半年間だけで約957億円の営業赤字を計上します。
資金繰りも限界に達し、2010年1月19日、JALは会社更生法の適用を申請、巨大な航空会社の破綻は日本社会に大きな衝撃を与えたのです。
巨額の公的支援と稲盛和夫の改革、JAL復活の裏側
JALが破綻後も運航を続けられたのは、利用者だけでなく地方経済や取引先にも深刻な影響が及ぶ恐れがあったからです。
そこで、金融機関による約5,215億円の債権放棄と企業再生支援機構による3,500億円の出資が実施され、既存株式は100%減資となり従来の株主は保有株式の価値を失いました。
再建の中心となったのが、京セラ創業者の稲盛和夫氏で、2010年2月に会長へ就任すると、路線ごとの採算管理を徹底し不採算路線の整理や大型機の退役を進めました。
一方、改革には厳しい犠牲も伴い、希望退職や整理解雇が実施され給与や企業年金も大幅に削減され、会社の存続と引き換えに多くの従業員が負担を強いられたのです。
こうした事業の縮小や財務再建、社員の意識改革によって業績は急回復、2012年3月期には2,049億円の営業利益を計上し、同年9月19日には東京証券取引所への再上場を果たしました。
その後もJALは、需要に応じた機材運用や新型機への更新を進めています。
世界有数の航空会社が、一度は破綻しながら復活した歴史は、企業規模の大きさだけでは生き残れないことを物語っています。
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