今なお真相不明…世界中を震撼させた「未解決怪奇事件」2選

今なお真相不明…世界中を震撼させた「未解決怪奇事件」2選

世界の歴史には、長い年月が経ってもなお、答えにたどり着けない事件があります。

今回紹介する2つの事件は、どちらも怪奇事件として語られがちですが、都市伝説以上に不気味な現実の謎が残されていました。

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ジャック・ザ・リッパー、ロンドンを恐怖に陥れた

ジャック・ザ・リッパー
Wikipedia「切り裂きジャック」公式より

1888年、イギリス・ロンドン東部、貧困が深刻だったホワイトチャペル周辺で、女性たちが相次いで殺害される事件が発生します。

犯人として歴史に刻まれた名前が、Jack the Ripper(ジャック・ザ・リッパー/切り裂きジャック)です。

一般にジャック・ザ・リッパーの犠牲者として最も広く認められているのが、カノニカル・ファイブと呼ばれる5人の女性で、1888年8月から短期間に事件は集中しました。

ただし、ホワイトチャペル周辺で起きたすべての殺人が同一犯によるものだったのかについては、現在も議論があります。

事件がこれほど世界的に知られるようになった理由のひとつが、その猟奇性で、被害者の遺体には激しい損傷が加えられ、一部では臓器が失われていました。

そのため犯人には解剖学的知識があったのではないか?とも推測されましたが、犯人の職業や知識レベルを確定できる証拠はありません。

警察も必死に捜査を続けましたが、当時の記録には、警察犬の利用や警察組織間の連携など、さまざまな対策が検討されていたことが残っています。

その後、医師、肉屋、外国人、王室関係者など、数え切れないほどの人物が真犯人候補として取り沙汰されましたが、犯人は捕まりませんでした。

そもそも1888年は、ロンドン警視庁に指紋捜査の専門部署が設置されるより13年も前、現在ならDNAや監視カメラなどから追跡できる事件でも、当時利用できる科学捜査には大きな限界がありました。

そして不可解なのは、1888年秋に猛威を振るった連続殺人が、その後ぱったりと途絶えたように見えることです。

犯人は死んだのか?逮捕され別件で収監されたのか?ロンドンを去ったのか?それとも別の事件にも関与していたのか?138年近くが経過した現在も、その答えは未だ闇の中です。

ロアノーク植民地の集団失踪、約100人が忽然と消えた

ロアノーク植民地 集団失踪
Wikipedia「CROATOAN, The Lost Colony」公式より

1587年、イングランドから現在の米ノースカロライナ州ロアノーク島へ、総督ジョン・ホワイト率いる一団が渡りました。

米国立公園局(NPS)の記録では、この植民団は男性、女性、子どもを含む117~118人規模だったとされています。

しかし、植民地は食料不足や先住民との緊張など、厳しい問題を抱える中、ホワイトは物資と援助を求めてイングランドへ帰国します。

ところが、英西戦争などの影響によって帰還は大幅に遅れ、1590年8月18日、約3年ぶりにロアノーク島へ戻ったホワイトが目にしたのは、想像を絶する光景でした。

人が、誰もいない…残されていたのは、木に刻まれた「CRO」と、防柵に刻まれた「CROATOAN(クロアトアン)」という文字、しかも争ったり慌てて逃げたりした明確な痕跡は確認されなかったといいます。

実はホワイトと植民者たちは、移動する場合には行き先を残すよう事前に決めており、危険な状況で立ち退いた場合には印を付ける取り決めもありましたが、その印は見つかりませんでした。

クロアトアンとは当時の先住民と土地の名称で、現在のハッテラス島にあたります。

つまり植民者たちは殺害されたのでも神隠しに遭ったのでもなく、自ら島を離れ、現地社会に合流した可能性があるのです。

ところが悪天候に阻まれ、ホワイトはクロアトアンへ向かうことができず、植民者たちと再会することなくイングランドへ戻ることになります。

後世の発掘調査では、ハッテラス島やロアノーク島から西へ離れた地域で、植民者との関連が議論されるヨーロッパ由来の遺物も発見されています。

ただし、それらが失踪した植民者の所有物だったと断定できるわけではありません。

約100人もの人々はどこへ行き、最後にどんな人生を送ったのか?彼らのその後を記録した確実な史料が途絶えてしまった…それこそがロアノーク最大の謎なのかもしれません。

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