かつて日本一だった『ダイエー』はなぜ消えた?スーパーの王者が絶頂から衰退した誤算とは

かつて日本一だった『ダイエー』はなぜ消えた?スーパーの王者が絶頂から衰退した誤算とは

かつてダイエーというスーパーが、日本の小売業界の頂点に立っていたことをご存じでしょうか?

現在では店舗を見かけない地域も多いですが、最盛期のダイエーは百貨店を抜いて売上高日本一となり、日本人の買い物そのものを変えた巨大企業でした。

では、なぜこれほどの企業が経営危機に陥ったのでしょうか?

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ダイエーは価格破壊で百貨店を抜いた日本一の小売業

ダイエー スーパー
Wikipedia(左)2代目ロゴ(右)3代目ロゴ|公式より

ダイエーは1957年、中内功氏によって大阪・千林で創業、当時はメーカーが決めた定価で商品を販売することが一般的でしたが、中内氏は「価格は消費者が決める」という考えを掲げ、商品を大量に仕入れて安く販売する価格破壊を進め、安さを求める消費者から圧倒的な支持を集めました。

さらにダイエーは、食品だけでなく衣料品、家具、家電、玩具などを一つの大型店舗に集めたGMS(総合スーパー)を全国へ拡大、こうして1972年には三越を抜いて小売業売上高日本一となり、1980年には小売業として初めて年間売上高1兆円を突破します。

PB商品の開発やショッピングセンターの普及など、現在の小売業につながる仕組みも次々と広げ、その勢いでホテルや金融などへも事業を広げ、1988年には南海ホークスを買収、翌年には福岡ダイエーホークスとして福岡へ移転するなど、ダイエーは巨大な企業グループへ成長していったのです。

何でも安いが通用しない時代へ

急拡大の裏では大きなリスクも膨らんでおり、当時の日本では土地価格が上昇し続けるという考えが強く、ダイエーも不動産を担保に資金を借り、それを店舗や新規事業への投資に回していました。

そんな中、1990年代にバブルが崩壊すると土地価格が下落、ダイエーにも巨額の借入金が重くのしかかります。

しかも、スーパー事業にも大きな変化が訪れており、日本が豊かになるにつれ、消費者は「とにかく安ければいい」から「安くても品質やデザインにこだわりたい」へと変化していきます。

衣料品ではユニクロなどの専門店が成長し、家電にも専門店が台頭、日常のちょっとした買い物ではコンビニが身近な存在となり、何でも一カ所で安く買えるというダイエーの特徴が、次第に「それぞれの商品では専門店にかなわない」という弱点へ変わっていったのです。

さらに大きかったのが、過去の圧倒的な成功体験で、価格破壊と大量販売で日本一になったからこそ、そのモデルを自ら否定して新しい形へ転換することが難しく、業績悪化と巨額債務を抱えたダイエーは、2004年に産業再生機構の支援による再建へ進みます。

その後はイオンとの関係を深め、2015年に完全子会社となり、ダイエーという会社や店舗ブランド自体は現在も残っていますが、かつて日本一を誇った独立した巨大流通グループとしての姿は失われてしまいました。

時代を変えるほどの成功を収めても、その成功に固執すれば次の時代には取り残される…ダイエーの栄光と衰退は、巨大企業でさえ変わり続けることから逃れられないことを物語っています。

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