日本史から消えた…日本史最大級の謎「サンカ」とは何者だったのか?知られざる歴史

隠された歴史!謎の部族「サンカ」なぜ日本史から消されたのか?

日本の山奥や河原を移動し、土地を持たず、竹細工などを作りながら暮らしていたとされる人々「サンカ」、学校の日本史で、その名前を聞いた記憶がある人はほとんどいないでしょう。

ところが、サンカについて調べていくと、明治から昭和にかけて実際に研究や記録が残されている一方、「古代から続く謎の民族」「忍者のルーツ」「独自の秘密組織を持っていた」といった驚くような説まで登場します。

では、サンカとは本当は何者だったのでしょうか?なぜ彼らは日本史の表舞台から姿を消したのでしょうか…?

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山や川を渡り歩いたもうひとつの日本人

サンカ民族
出典|CAMPFIRE(公式より)

サンカ(山窩)とは一般に、山間部や河川周辺などを移動しながら生活した漂泊民を指す言葉として使われてきました。

百科事典などでは、彼らは「セブリ」と呼ばれる簡素な天幕や仮小屋で生活し、箕(み)や籠などの竹細工を作ったり、川魚を捕ったりしながら各地を移動したと説明されています。

つまり、完全に社会から孤立した未知の部族だったわけではありません。

作った箕を農村で売ったり、米などと交換したりする以上、定住する村人たちとの接触も必要でした。

文明を知らず山奥だけで生きた民族というより、定住社会と関わりながらも、そこには完全には組み込まれない生活を続けた人々だったと考えたほうが実態に近いのです。

また、サンカは「忍者として活動した」「南朝に仕えた」「独自の秘密組織を持っていた」など、様々な説があります。

確かに山野を移動し、土地勘や自然に関する知識を持つ漂泊民というイメージは、忍者や山の民と結びつけたくなります。

同様に、全国のサンカを統率する巨大な秘密組織が存在したという話についても、証拠がない=絶対になかったとまでは言えません。

しかし、面白い説と確認された史実は分けて考えなければならないでしょう。

むしろ、史実と伝説がここまで複雑に混ざり合ってしまったこと自体が、サンカという存在の異様な魅力なのです。

なぜ日本史から消えたのか?

では、彼らはなぜ姿を消したのでしょうか?誰かが意図的に歴史から消したのでしょうか?

現在確認できる資料から考えると、「国家がサンカという民族を秘密裏に抹消した」と考える根拠はありません。

より現実的なのは、日本社会そのものが変化したことです。

近代国家になると、戸籍、住所、学校、徴兵、納税など、人間を「特定の場所」に結びつける制度が整備されていきました。

そして戦後になると、交通網や産業構造、社会保障制度なども大きく変化します。

移動しながら竹細工などで暮らす生活は、近代化された社会の中で維持することが難しくなっていきました。

実際、百科事典ではサンカについて「第2次世界大戦あたりを境にして不明となった」「戦後、急速に姿を消した」と説明されています。

つまり「消された」というより、定住化や職業の変化などによって、サンカとして区別される生活様式そのものが失われていったと考えるほうが自然なのです。

もっと怖いのは存在しなかったことになるこ

確かに漂泊生活を送った人々がいたにもかかわらず、その人生の多くが記録されないまま消えていったことです。

歴史に残りやすいのは、城を建てた権力者、戦争をした武将、制度を作った政治家などです。

一方、土地を持たず、文字による記録を大量に残さず、社会の周縁を移動して暮らした人々の姿は残りにくい、だからこそ後世の私たちは空白部分を想像で埋めたくなります。

古代民族だったのでは?忍者だったのでは?秘密の巨大組織が存在したのでは?そうして史実の空白に伝説が入り込み、いつの間にか「謎の部族サンカ」という巨大な物語が完成していったのかもしれません。

日本史には、教科書に載っている出来事だけでは見えてこない「名も残らなかった人々」の歴史があります。

サンカの存在は、そのことを今も静かに私たちへ突きつけているのです。

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