果てしなく青い海と独特の自然文化が広がる、日本最西端の島・与那国島、観光地として知られるその地には、実は島の人々が苦しみ抜いた悲しい歴史がひっそりと刻まれていることをご存じでしょうか。
今回紹介する「久部良バリ」と「人升田」は、いずれも口減らしの象徴として伝わる伝説であり、美しい景観からは想像できないほど残酷な物語を内包しています。
史実と伝承が交錯するこの二つの場所は、与那国島の過去だけでなく、現代社会にも通じる示唆を私たちに投げかけてくれます。
与那国島にそびえる久部良バリの正体

与那国島・久部良集落の外れに、自然がつくり出した巨大な割れ目「久部良バリ」があります。
長さ約20メートル、幅約5メートル、深さは8メートルにも達し、近づいた瞬間にその圧倒的な威圧感に息を呑むほどです。
強い海風が吹き抜け、足元からはるか下まで続く暗い裂け目を覗き込むと、思わず後ずさりしてしまうほどの恐怖がこみ上げます。
現在は観光地として知られていますが、島では昔から「ただの地形として存在してきたわけではない」と語られてきました。
この場所には、島の人々が苦しんだ時代を象徴する一つの伝説が残されています。
妊婦が跳ばされたという残酷な物語
伝説が語られる背景には、琉球王国時代の人頭税という制度がありました。
15〜50歳の男女に課される重税で、人口が多くなるほど島全体の負担が重くなる仕組みだったため、島民の生活は常に苦しかったと言われています。
さらに江戸時代中期、八重山諸島には飢饉が連続し食糧不足が深刻化、こうした極限状態の中で、人を減らさなければ生き残れないという思想が生まれ、さまざまな口減らしの形が語り継がれるようになったと考えられています。
その一つが「久部良バリ」の伝説です。
物語では、妊婦たちを裂け目の前に立たせ、跳び越えられた者だけが出産を許されたとされます。
落ちれば母子ともに命を落とし、跳べても衝撃で流産する可能性が高い、そんな残酷な選別が行われたというのです。
ただし、ここで重要なのは「この出来事を証明する史料は一つも存在しない」「久部良バリの妊婦伝説は、あくまで物語として伝わった口承」という点です。
残酷な内容が広がっていった理由は、当時の島民が抱えていた苦しみが、伝説の形で強調されていったためだと考えられています。
人升田(トゥングダ)に残るもう一つの伝承
久部良バリと並んで与那国島の歴史を語る上で欠かせないのが「人升田(トゥングダ) 」と呼ばれる別の口減らし伝承です。
伝承によると、大飢饉によって島の生産力が限界に達した頃、島中に非常呼集がかけられ住民全員が人升田に集められたとされます。
そこに入りきれなかった者は、島の扶養力に見合わない人口として間引かれ、残された者だけが生き延びたという衝撃的な物語です。
この話は、1984年に出版された『久部良割・人升田:琉球にみる人口淘汰の悲劇』にも記録されていますが、こちらも歴史資料としての裏付けは極めて薄く、民話・伝承の域を出ません。
しかし、こうした話が語り継がれた背景には、「島を襲った相次ぐ飢饉」「重すぎる人頭税」「食糧不足や疫病による大量死」といった、島の生き残りが試された歴史が確かに存在しています。
つまり、久部良バリと人升田の物語は、与那国島が抱えてきた苦難の象徴であり、島民の記憶が伝説という形で残されたものだと言えます。
まとめ
与那国島の「久部良バリ」と「人升田」は、史実として確認されてはいませんが、島民が極限の状況に追い込まれていた背景は確かに存在しました。
美しい自然の裏側にあるこの伝承は、過去の残酷さを知るだけでなく、現代社会の選別の構造を考えるきっかけにもなります。
与那国島を訪れる際には、景観の奥に眠る歴史にも、静かに想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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