今から約100年前、三井や三菱をしのぐ売上高を誇りながら、わずか数十年で歴史の表舞台から姿を消した巨大商社「鈴木商店」、現在ではあまり知られていませんが、大正時代には日本一の総合商社にまで成長し、最盛期の売上高は当時の日本の国民総生産(GNP)の約1割に匹敵するほどでした。
なぜ、日本一にまで上り詰めた企業が消えてしまったのでしょうか。そして、鈴木商店が残した意外な遺産とは…。
三井・三菱を脅かした「鈴木商店」砂糖屋から日本一へ
鈴木商店の始まりは、1874年(明治7年)、神戸で鈴木岩治郎が開いた小さな砂糖商店でした。
転機が訪れたのは1894年、創業者の岩治郎が亡くなり、妻の鈴木よねが事業を引き継ぎますが、そこで経営の中心人物となったのが、後に財界のナポレオンと呼ばれる金子直吉です。
金子は持ち前の商才を発揮し、砂糖だけでなく、鉄鋼、造船、食品、化学など、さまざまな事業へ進出、鈴木商店を巨大企業へと成長させていきます。
さらに1914年、第一次世界大戦が始まると、世界中で鉄鋼や船舶などの需要が急増、鈴木商店はこの好機を逃さず貿易を一気に拡大、そして1917年ついに三井物産の年商を抜き、日本一の商社となったのです。
今では信じられないかもしれませんが、鈴木商店は日本経済を動かすほどの存在だったのです。
米を買い占めている!誤解から本店が焼き打ちに
急成長した鈴木商店には思わぬ悲劇が待ち受けていました。
1918年、日本各地で米価の高騰に抗議する「米騒動」が発生し、生活に苦しむ人々の怒りが広がるなか、「鈴木商店が米を買い占め、価格をつり上げている」という疑惑が広まりました。
そして同年8月、神戸の鈴木商店本店が群衆によって焼き打ちされる事件が発生、巨大企業への不満や誤った情報が重なり、人々の怒りが鈴木商店へ向けられてしまったのです。
まるで現代のSNSで起こる「炎上」を思わせる事件ですが、鈴木商店を本当に追い詰めたのは、その後に訪れる経済危機でした。
巨大商社を襲った3つの誤算
鈴木商店の運命を大きく変えたのは、第一次世界大戦の終結でした。
戦争中は鉄鋼や船舶などが飛ぶように売れ、莫大な利益を上げていましたが、戦争が終わると状況は一変します。
世界的に物資の需要が落ち込み商品価格が急落、大量の在庫を抱えていた鈴木商店は大きな損失を出してしまったのです。
さらに問題だったのが急激な事業拡大、鈴木商店は次々と会社を設立・買収していましたが、その資金の多くを銀行からの借り入れに頼っていました。
特に台湾銀行への依存度が高く、銀行の支援がなければ事業を維持することが難しい状態になっていたのです。
そして1927年、日本を昭和金融恐慌が襲います。
金融不安が広がるなか、台湾銀行は鈴木商店への融資を打ち切ることを決定、資金を調達できなくなった鈴木商店は、同年4月、ついに経営破綻へと追い込まれました。
創業から約53年、日本一にまで成長した巨大商社は、歴史の表舞台から姿を消したのです。
実は今も残っている? あの有名企業も鈴木商店の仲間だった
鈴木商店そのものは消滅しましたが、当時の事業や関連企業の多くは現在まで受け継がれているのです。
例えば、鉄鋼大手の神戸製鋼所、繊維・素材メーカーの帝人、総合商社の双日など、さらにニップンやダイセルなども、鈴木商店と歴史的なつながりを持つ企業です。
なかでも双日は、鈴木商店の破綻後に元社員たちが設立した「日商」を源流の一つとしており、鈴木商店という名前は消えても、その事業や技術、人材は今も日本の産業を支えているのです。
もし鈴木商店が倒産していなかったら、現在の日本には三井・三菱と並ぶ、もう一つの巨大企業グループが存在していたかもしれません。
かつて三井・三菱を脅かした幻の巨大商社「鈴木商店」、その名前は消えても日本経済に残した足跡は、約100年後の今も生き続けているのです。
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