「絶世の美女」と聞くと、単に顔立ちが美しい女性を思い浮かべがちですが、日本史に名を刻んだ女性たちは、外見だけでなく生き様そのものが語り継がれてきました。
今回は、平安・戦国・明治という異なる時代を生きた三人の美女を紹介します。
小野小町

小野小町は、平安時代を代表する女流歌人であり、六歌仙の一人として和歌の才能を認められる一方、彼女の美しさは当時から別格だったと伝えられ、「姿を見ただけで恋に落ちた男が数え切れない」とまで語られています。
有名なのが深草少将百夜通い伝説、百夜続けて通い続ければ結ばれると約束されたものの、九十九夜目で命尽きたという悲恋譚は、小町の妖艶さと冷ややかさを象徴する物語です。
実話ではないとされながらも、それほどまでに近寄りがたい美の象徴だったのでしょう。
小野小町にまつわる逸話は数多く、多くの貴公子が恋に狂った、冷静で簡単には心を許さなかった、美しさと知性を併せ持つ高嶺の花だった、と伝えられています。
また、晩年は老いと孤独を詠んだ歌が残され、美の儚さそのものが小町の魅力として受け取られており、美しさの頂点と終焉その両方を内包した存在こそ小野小町は「絶世」とされた存在なのです。
井伊直虎

戦国時代、男性が支配する世界で井伊家を守り抜いたのが井伊直虎です。
直虎の美しさは、単なる容姿ではなく、「芯の強さ」「凛とした佇まい」「慈悲深さ」が周囲の人々を惹きつけたと伝えられています。
家臣や領民から厚く信頼された理由は、その人柄にありました。
また、若き日に許嫁を失い、生涯独身を貫いたという点も彼女の生き様を際立たせます。
恋や家庭よりも、家と民を守ることを選んだ姿は、まさに覚悟を背負った美女、戦国という時代に咲いた静かで力強い美でした。
後に徳川四天王となる井伊直政を育てた点も、直虎の先見性と人間的魅力を物語っており、戦国という苛烈な時代に咲いた静かで揺るがぬ美を象徴しています。
楠本高子

楠本高子は、幕末の長崎で生まれた女性で、父はドイツ人医師シーボルト、母は日本人女性、混血である高子は当時としては極めて珍しい存在でした。
その美貌は、日本人離れした顔立ちと評され、長崎の社交界でひときわ注目を集めます。
しかし彼女の魅力はそれだけではありません、語学力に優れ西洋文化にも通じた教養の高さが、多くの外国人知識人を惹きつけました。
一方で、混血ゆえの差別や偏見にさらされた人生でもあります。
華やかさの裏にある孤独と苦悩、それを抱えながらも気品を失わなかった高子の姿は、まさに近代日本を象徴する美女像と言えるでしょう。
まとめ
知性と気品の美、三人に共通するのは美しさが単なる外見ではなく、生き方そのものとして人々の記憶に残ったという点です。
だからこそ彼女たちは、時代を超えて語られ続けます。
日本史に名を残す絶世の美女とは、時代を動かし人の心を惹きつけた生きた物語なのかもしれませんね。
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