幕末…黒船来航、尊王攘夷、倒幕運動、そして戊辰戦争、日本中が激しく揺れ動き、多くの志士たちが刀を手に命を懸けた時代です。
坂本龍馬、土方歳三、近藤勇、西郷隆盛、幕末と聞けば、どうしても男性たちの名前が思い浮かびます。
しかし、その陰には男顔負けの剣術を身につけ、自ら武器を取り、時代の荒波に立ち向かった女性たちがいました。
千葉さな子|坂本龍馬も驚いた?鬼小町と呼ばれた美剣士
坂本龍馬との関係でも知られる千葉さな子(千葉佐那)、1838年に北辰一刀流の剣術家・千葉定吉の次女として生まれたさな子は、父の道場で武術を磨き14歳で免許皆伝を得て、宇和島藩や越前藩で長刀の師範を務めたと言われています。
しかも、ただ強いだけではなく、その美貌でも知られ、後世には千葉の鬼小町などと呼ばれるほどでした。
そして、千葉道場へ剣術修行にやって来たのが坂本龍馬、さな子と龍馬は恋仲、あるいは婚約関係にあったとする話が広く知られています。
明治維新後も彼女は生き抜き、学習院女子部の舎監を務めたのち、東京・千住で「千葉灸治院」を開き、灸を生業として暮らしました。
刀の時代が終わっても、自らの力で人生を切り開いた、その生き方こそ、まさに「強い女性」だったのかもしれません。
中野竹子|薙刀を手に戦場へ…命を懸けた会津の女剣士
壮絶な最期を迎えた人物が中野竹子です。
戊辰戦争で会津が戦場になると、竹子は女性たちとともに武器を取り、後世「娘子隊」と呼ばれます。
当初、女性たちの参戦は正式には認められていませんでしたが、それでも竹子たちは戦場へ向かい、1868年、薙刀を手に新政府軍と戦います。
竹子は柳橋付近で奮戦し戦死、その殉節碑には、出陣時に薙刀へ結びつけていたと伝わる辞世が刻まれています。
「武士の猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」女性だから戦えない、女性だから守られる側、そんな時代の常識を、竹子は自ら薙刀を握ることで打ち破りました。
戦場へ向かった時、死の可能性を理解していなかったはずはありません。
それでも彼女は逃げなかった…その覚悟を思うと、150年以上が過ぎた現在でも胸が震えます。
中沢琴|男装して浪士組へ…謎に包まれたもう一人の女剣士
中沢琴(中澤琴)は、上野国・利根郡の穴原、現在の群馬県沼田市周辺に生まれ、父が開いた道場で法神流剣法を学びました。
そして1863年、驚くべき行動に出ます。
なんと男装し、兄の中沢貞祗とともに浪士組へ参加したというのです。
その後は新徴組に加わり、江戸市中の警備などに従事、毛利屋敷襲撃や1867年の薩摩藩邸焼き討ちにも加わったとされています。
中沢琴は戊辰戦争後も生き延び、1927年に亡くなったとされています。
幕末に男装して新徴組に参加した女剣士として、2017年にはNHKで『花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~』としてドラマ化されています。
150年以上前の日本に、これほど強烈な人生を駆け抜けた女性たちが実在した…彼女たちを知ると、私たちが知っている幕末の景色が、少し違って見えてくるのではないでしょうか。
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