「越後の虎」「軍神」と呼ばれ、武田信玄と激闘を繰り広げた戦国武将・上杉謙信、戦国史を代表する人物ですが、実は謙信は女性だったのではないか?という驚きの説が存在します。
生涯実子を残さなかったことをはじめ、海外史料の「叔母」という記述、謎めいた死因「大虫」など、その根拠とされる材料は一つではありません。
果たして上杉謙信女性説は単なる都市伝説なのでしょうか?
上杉謙信は女性だった?いくつも残る不思議な根拠

上杉謙信女性説を広く知らしめたのが、小説家の八切止夫です。
1960年代に発表された説では、謙信にまつわるいくつもの不思議な記録が根拠として取り上げられました。
その代表例が、スペイン人のゴンザレスなる人物が国王フェリペ2世へ送ったとされる報告書です。
そこには、後に会津を治める上杉景勝について、佐渡の黄金を開発した「叔母(tia)」から財産を得たと解釈できる記述があったとされます。
景勝は謙信の姉・仙桃院の子で、つまり謙信は景勝にとって叔父にあたります。
それなのに「叔母」と書かれているのであれば、海外では謙信が女性として認識されていたのではないか?というわけです。
さらに謙信の死因も女性説を生みました。
江戸時代初期の『当代記』には、謙信について「大虫と云々」と記されています。
八切はこの大虫を月経など女性特有の症状と関連付けされており、越後の瞽女歌にあったとされる「男もおよばぬ大力無双」という表現も、女性なのに男以上に強かったという意味ではないかと解釈されました。
そして何より謎なのが、戦国大名でありながら実子を残していないことです。
政略結婚が重要だった時代に、長らく謙信は妻を持たず生涯不犯を貫いた人物とされてきました。
こうした要素を並べてみると、もしかしたら本当に女性だったのでは?と思わせるところがあります。
決定的証拠はなし…近年は謙信には妻がいた可能性も
しかし、女性説の根拠を一つずつ検証すると、いずれも決定打とはいえません。
例えば「男もおよばぬ大力無双」という瞽女歌は、そもそも根拠となる唄本が現在確認できないという問題があります。
大虫についても解釈が一定しておらず、女性特有の病気だったと断定することはできません。
有名な「謙信は厠で脳卒中を起こして亡くなった」という説も、『甲陽軍鑑』には謙信が閑所で発病したとありますが、閑所は厠だけでなく私室など静かな場所を意味する場合があります。
また、謙信の死後に上杉景勝が出した書状には、謙信が不慮之虫気で亡くなったとする記述も残されています。
つまり、最期の状況や病名についても史料によって表現が異なり、死因を断定すること自体が難しいのです。
さらに近年注目されているのが、「もそも謙信は本当に生涯独身だったのか?という問題です。
高野山清浄心院に残る『越後過去名簿』には、1559年の記録として「越後府中御新造」という表現が登場します。
新造は当時、武家の妻女を指して使われることがあり、越後府中が謙信を意味するのであれば、謙信には妻が存在した可能性が浮かび上がります。
さらに1561年の謙信の書状にも、新造という言葉が確認されており、歴史学者の黒田基樹氏らも謙信に妻がいた可能性を指摘しています。
「謙信は生涯不犯だった」という有名な話そのものが、江戸時代になってから形成された可能性もあるのです。
もちろん、これだけで女性説が完全に否定されたわけではありません。
しかし現在確認できる史料から、上杉謙信は女性だったと断定することはできず、歴史学上の定説にもなっていません。
現時点では歴史的事実というより、わずかな史料の隙間から生まれ、現在まで語り継がれてきた「戦国史最大級の異説」の一つと考えるのが妥当でしょう。
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