現代でも、平均寿命と平均余命を混同し勘違いする人は多いものです。
寿命を語るうえで最も重要なのは、年齢別の生存率を踏まえた正しい見方を知ることなんです。
今回は、江戸時代の平均寿命30代という数字のから分かりやすく紹介していきます。
平均寿命と平均余命まったく違う指標
まず知っておきたいのが、「平均寿命」と「平均余命」は別物だということです。
平均寿命とは、0歳の時点でこれからあと何年生きられそうかを示す指標で、赤ちゃんの時点での数字なので、乳幼児期の死亡率が高い時代ほどぐっと低く算出されます。
現在の日本の平均寿命は男性約81歳、女性約87歳ですが、これは0歳児を対象にした数字となります。
一方で平均余命とは、ある年齢まで生きている人が、そこからあとどれくらい生きられるかという指標で、例えば令和5年の統計では、60歳男性の平均余命は約24年、つまり60歳の男性は平均で84歳前後まで生きるということになります。
ここで重要なのは、平均寿命とは「0歳からすべての死亡を平均した値」であり、平均余命とは「その年齢まで生きてきた人の生存力を踏まえた値」だという違いです。
この2つを混同すると、「60歳の平均寿命が81歳だから、あと21年しか生きられない」と誤解してしまうのです。
実際には、60歳を迎えている時点で幼少期の死亡リスクはすべて乗り越えているため、統計上はもっと長く生きる可能性が高いのです。
江戸時代の平均寿命30代の真相
江戸時代の平均寿命は30代だった、という話はよく耳にしますが、これも現代人が誤解しやすい寿命の典型例です。
実際この30代という数字は、医療が未発達であった当時、乳幼児死亡率が非常に高かったことが原因で著しく低く見えているにすぎません。
江戸時代の子どもたちは、天然痘、麻疹、赤痢、肺炎、栄養不良などの影響で、0〜5歳までのあいだに多くの命が失われていました。
当時はワクチンも抗生物質もなく、乳児の死亡率は現代とは比べものにならないほど高いものだったのです。
平均寿命は、0歳時点からの生涯を平均した数字なので、幼い子どもが大量に亡くなれば、全体の平均は当然大きく下がります。
その結果、江戸時代の平均寿命は30代という数字になってしまいますが、これは江戸の大人が30代で大量に亡くなっていたという意味ではありません。
事実、江戸時代の寺院の過去帳や墓石を調べると、60〜70歳まで生きた人は珍しくなく、80歳を超えて長生きした例も多く存在します。
つまり、江戸の平均寿命=30代は数字のマジックにすぎず、実際の成人の寿命は現代と比較しても極端に短いわけではなかったのです。
江戸時代の成人寿命は意外と長かった
では、江戸時代の人々は実際にどれほど長く生きたのでしょうか。
歴史学では、江戸時代の成人後の平均余命は現在より短いものの、決して30代で死ぬ社会ではなかったというのが共通認識です。
成人した人々は、仕事や生活環境の違いはありながらも、多くが60〜70歳まで生きていました。
当時の生活は現代より体を使うことが多く、食生活もシンプルで脂肪が少ないため、生活習慣病のリスクが低かったという説もあります。
また、乳児期を生き延びた人は強い体質を持っている場合が多く、その後の寿命が延びやすかったとも言われます。
まとめ
平均寿命と平均余命を混同すると「何歳まで生きられるか」を誤って理解してしまいます。
寿命を正しく知るためには、生まれた時点ではなく現在の年齢からあと何年生きられるかという視点が不可欠です。
数字の背景を理解することで、歴史の見方も今の自分の人生の見逃し方も大きく変わっていくのではないでしょうか。
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