日本が誇るエンターテインメントの聖地・東京ディズニーリゾート、実は世界中にあるディズニーパークの中で 唯一、ディズニー直営ではないパークであることを知っていますか?
アメリカのフロリダ、カリフォルニア、フランス・パリ、香港、上海、これらはウォルト・ディズニー・カンパニー、もしくはディズニーが主要株主となっている企業が運営しています。
しかし東京だけはまったく異なる仕組みで生まれた、世界で特別なディズニーなのです。
東京がフランチャイズ方式で誕生した理由
東京ディズニーリゾートを運営するのは、千葉に本社を置くオリエンタルランド、1950年代から千葉県浦安エリアの開発に携わってきた企業です。
誘致活動が本格化した1970年代、ディズニー社はフロリダで巨大プロジェクトを進行しており、莫大な資金が必要で海外に新パークを直営で建てる余裕はありませんでした。
さらに当時のディズニーは慎重派、「アメリカ以外にディズニーランドをつくって成功するのか?」「文化が違えば、世界観が伝わらないのでは?」そんな不安が根強かったのです。
また、ディズニー社には日本にディズニーランドを作ることへの不安がありました。
その背景には奈良ドリームランドの存在です。
1961年に開業した奈良ドリームランドは、ディズニーランドを露骨に模倣したことで有名で、シンデレラ城に酷似した城、アメリカンウォーターフロント風の街並み、この出来栄えが非常に低品質で、ディズニー側は「日本はブランドの価値が守られないのでは?」という疑念を抱くことになったのです。
こうした事情から、ディズニーは東京誘致に慎重にならざるを得ませんでした。
最終的にディズニーは東京での建設を承諾することになりますが、その方法は直営ではない、OLCが土地と建設・運営費を負担し、ディズニーはブランド使用料(ロイヤリティ)を得るというフランチャイズ方式だったのです。
簡単に言えば、「東京が失敗してもディズニーが損しない仕組み」でした。
これにより、ディズニーはリスクを抑えつつロイヤリティ収入を得られる、世界初のモデルが東京ディズニーランドなのです。
誤算は日本人の消費文化
1983年に開業した東京ディズニーランドは、ディズニー社の予想を遥かに上回る大ヒット、その背景には、日本独自の「おみやげ文化」がありました。
アメリカのテーマパークでは、飲食やアトラクション体験が主な収益源、一方日本では、家族や会社に配るために買う「お土産」が圧倒的に売れたのです。
ディズニーは当時、物販のロイヤリティをかなり低めに設定 していたため、売れれば売れるほどオリエンタルランドに利益が入る構造になっていました。
これが後年、ディズニー社内部で「東京をフランチャイズにしたのは最大級のミス」と語られる理由になりました。
ちなみに、開園10周年の式典で当時のCEOマイケル・アイズナーが「東京の契約は史上最大の失敗」と冗談交じりに発言したのは有名な話で、それほど東京の成功はディズニーの想定を超えていたということです。
また、直営でないからこそ、日本人の好みに合わせた細やかな接客、限定グッズの圧倒的な豊富さ、パークの清潔さや時間の正確さ、これらは日本の運営だからこそ磨かれた強みと言えるでしょう。
海外ディズニーファンが東京を高く評価する理由もまさにここにあり、「東京が世界最高のディズニー」と語る海外ゲストも非常に多く、いまや東京モデルがひとつの成功例として注目されるほどになりました。
まとめ
東京ディズニーリゾートは、ウォルト・ディズニーがつくった世界観と、日本人の細やかなホスピタリティが融合した唯一無二の場所、その結果として世界中のディズニーファンが東京を特別な「魔法の国」と呼ぶようになったのです。
東京ディズニーリゾートは、ウォルトの魔法×日本の品質という最強タッグで、世界のファンを魅了し続けています。
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