なぜパラオは親日国なの?日本兵が命を懸けて守ったペリリュー島での壮絶すぎる真実

なぜパラオは親日国なの?日本兵が命を懸けて守ったペリリュー島での壮絶すぎる真実

世界有数の親日国として知られる南国・パラオ、なぜこの小さな島国は、戦争という過酷な歴史を経たにもかかわらず、今もなお日本に友好的な感情を持ち続けているのでしょうか。

その背景には、日本の統治時代に築かれた生活基盤、現地に根付いた日本文化、そして太平洋戦争末期に起きたある戦いが深く関わっています。

今回は、パラオと日本の関係を歴史・戦争・現在の視点から親日国と呼ばれる理由を紹介します。

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パラオと日本の歴史的関係

パラオ共和国は、西太平洋ミクロネシア地域に位置する島国で、1994年に独立した比較的新しい国家です。

しかしその歴史を振り返ると、日本との関わりは100年以上前にまで遡ります。

第一次世界大戦後、パラオは国際連盟の決定により、日本の委任統治領となりました。

日本の統治下では、学校や病院の建設、道路や港湾といったインフラ整備が進められ、現地社会の近代化が図られました。

その影響は現在も残っており、パラオの言語には日本語由来の単語が数多く存在します。

「扇風機」「電話」など、日本語が形を変えずに定着している例もあります。

なお誤解されがちですが、公用語は基本的にパラオ語と英語で、日本語はアンガウル州など一部地域で公用語として扱われています。

ただし、高齢層を中心に日本語を理解・使用できる人がいることは他国と比べても特異な特徴です。

ペリリュー島の戦い、親日感情の裏にある戦争の記憶

パラオと日本の関係を語るうえで避けて通れないのが、1944年に起きた「ペリリュー島の戦い」です。

南北約10km、東西約3kmという小さな島で行われたこの戦闘は、太平洋戦争末期における最激戦の一つとされています。

日本軍守備隊は約7,000人(軍属を含めると約1万人規模)、対するアメリカ軍は4万人以上、アメリカ軍は短期決戦を見込んでいましたが、日本軍は島を要塞化し洞窟を連結した地下陣地による持久戦を展開しました。

結果として戦闘は70日以上に及び日本軍はほぼ全滅、アメリカ軍も1万人を超える死傷者を出します。

この戦いで特筆すべきなのは、現地パラオ人の犠牲者がほぼ出なかった点です。

日本軍司令官・中川州男大佐は、島民から「日本兵と共に戦いたい」と申し出を受けた際、あえて激しい言葉で「帝国軍人が貴様ら土人と一緒に戦えるか!」と、拒絶し全員を島外へ避難させました。

この発言に島民たちは深く傷つき、「日本人に見下されていたのか…」と失望、日本人への怒りと失望を抱えながら避難船に乗り込みました。

しかし島を離れる瞬間、砂浜には日本兵全員が現れ、手を振りながら日本の歌『ウサギ追いしかの山』を歌い、帽子を振りながら島民の安全を祈り別れを告げたのです。

その中には、中川隊長の姿もありました。

表面的には冷酷にも見える対応でしたが、その判断により民間人は戦闘に巻き込まれず、一人の死傷者も出ることはありませんでした。

戦後、パラオの人々は日本兵の遺骨を集め慰霊を行いました。

敵味方という枠を超えたこの行動は、現在の親日感情を語るうえで重要な背景の一つとされています。

まとめ

パラオが親日国と呼ばれる理由は、単なる好意やイメージによるものではありません。

日本統治時代に築かれた生活基盤、教育を通じて残った言語や文化、そしてペリリュー島の戦いで示された民間人保護の判断と戦後の慰霊、これらが積み重なり現在の関係が形作られています。

戦争の記憶と文化的な結びつき、その両方を内包しているからこそ、パラオと日本の関係は今も特別なものとして語られているのです。

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