25歳を過ぎて夜行バスで旅行するのは無理、ネカフェ泊や細かい節約は時間も人生も安売りしている、そんなXの投稿が物議を醸しました。
確かに、余裕ある大人像を思い浮かべると違和感を覚える人もいるでしょう。
一方で、それは価値観の押し付けでは?という声も少なくありません。
物価高が続き、将来の見通しが立ちにくい今、私たちはお金の使い方=生き方をどこまで他人に評価されるべきなのでしょうか。
この話題は、単なる節約論争ではなく、現代の大人が抱える価値観の分断を浮き彫りにしています。
それは貧乏癖か?それとも合理的な選択か?
問題となった投稿では、夜行バスやネカフェ泊、タクシーを使わない行動が「余裕のなさ」「人生の安売り」として語られています。
しかし、コメント欄では真逆の意見も多く見られます。
夜行バスは移動中に眠れて宿泊費も浮く、朝から動ける合理的な手段だという人、出張の宿泊先は会社の規定で決まっているだけという人、歩くこと自体が健康や気分転換になるという人もいます。
そもそも節約とは、我慢や貧しさの象徴なのでしょうか?
限られた収入の中で、何にお金を使い、何を削るかを決める行為は、優先順位を明確にすることとも言えます。
削ったお金を投資や学びなど、将来の選択肢を増やすために使っているなら、それはむしろ計画的といえるでしょう。
一方で、快適さや時間短縮にお金を使うことも大切、という考え方も確かにあります。
どちらが正しいかではなく、どんな価値観で生きたいか?の、違いなのではないでしょうか。
あなたはこの投稿にどう思いますか?
SNSの反応
「誰にも迷惑かけてないし、他人が言うことでもないと思う」
「自分はできないな…」
「好きにさせればいいだろ?」
「流石にその年になってそれは可哀想。学生までだろ?」
「自分が絶対みたいな言い方無理」
「結局、いつどこでお金を使うかは個人の自由だもんな」
「彼氏が貧乏くさいことしてカエル化した」
「人に見えないとこでやって欲しいかも」
「2キロ歩くは理解できない」
「1メーターや2,3メーターでタクシーは逆に気が引ける」
「どれもライブ遠征では必要なこと」
「節約できるとこは節約していきたい」
など、様々な声がありました。
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