江戸の町は、男だらけだった?これは誇張でも比喩でもありません。
実際、江戸は世界最大級の都市でありながら深刻な男余り社会で、結婚したくてもそもそも相手がいない、そんな現実を抱えた時代だったのです。
江戸時代は圧倒的に男余りだった
1721年(享保6年)の統計によると、江戸の町人(武士を除く)人口は約50万人、その内訳は男性32万人、女性18万人、女性1人に対して男性はほぼ2人、これでは結婚競争が熾烈になるのも無理はありません。
しかもこの傾向は若年層ほど顕著で、20〜30代では「男7:女3」と言われるほど、つまり江戸の男たちは努力以前に確率で不利な立場に置かれていたのです。
なぜ江戸に男ばかり集まったのか?
最大の理由は、参勤交代です。
全国の大名が定期的に江戸へ出入りし、その家臣団も一斉に移動する、江戸は政治の中心であると同時に巨大な武士都市でした。
人口100万人とも言われた江戸のうち半数近くが武士、当然、地方の農村からは奉公人や職人の若者も集まり、都市はますます男性過多になります。
一方、女性は出産・婚姻を機に地方へ戻ることも多く、江戸に定着しにくかったのです。
武士社会では、家を継ぐ長男が最優先、三男・四男は家督とは無縁で、禄も少なく結婚に必要な経済力も身分的後ろ盾もありません。
商家の奉公人も同様で、住み込み奉公が当たり前の世界で店主の許可なく結婚は不可、独立できるのはほんの一握り、多くの若者は独身のまま年を重ねていきました。
興味深いのは、江戸が独身男性でも生きやすい街だった点です。
屋台や蕎麦屋といった外食文化、銭湯、共同生活の長屋。家族がいなくても日常生活が成り立つインフラが整っていたため、「無理に結婚しなくてもなんとかなる」という価値観も広がっており、独身であることは、決して異端でも不幸でもなかったのです。
彼らは芝居を観、酒を飲み、吉原に通い、流行を作る、町人文化・娯楽文化を支えたのは、紛れもなく既婚者ではなく独身男性だったのです。
江戸と現代、日本は驚くほど似ている
実は現代日本も、未婚男性は未婚女性より約300万人多い男余り社会、都市部ほど未婚率が高い点も江戸とよく似ています。
江戸時代の独身男性の多さは怠惰や性格の問題ではない、人口構造、経済格差、結婚制度、社会の仕組みそのものが生み出した結果だったのです。
江戸の町にあふれていた独身男性たちは、もしかすると、現代日本の姿を少しだけ先取りしていたのかもしれないですね。
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