アフリカは、世界から年間5兆円以上の支援を受けながらも、なぜ今も貧困から抜け出せないのでしょうか。
紛争・飢餓・不正選挙・独裁といったニュースは絶えず、「アフリカ=貧しい大陸」というイメージが長年続いています。
しかし、単に経済的に遅れているからではなく、そこには歴史的背景と構造的な問題が複雑に絡み合っているのです。
植民地支配が生んだ民族の分断
アフリカの多くの国々は、19世紀末の「ベルリン会議(1884〜1885)」によってヨーロッパ列強に分割されました。
その際、地理的・民族的な実情を無視して国境が引かれた結果、敵対関係にあった民族が同一国家に押し込められる形となりました。
アフリカには約1500以上の民族が存在し、それぞれ異なる言語や文化を持っています。
しかし、植民地支配下ではそれらの違いが軽視され、独立後も国内での対立が続くことになります。
たとえばナイジェリアでは、民族対立が原因でビアフラ戦争(1967〜1970)が発生、ルワンダでは1994年にフツ族とツチ族の対立が大虐殺を引き起こしました。
このように、国という枠組みよりも民族への忠誠心が強く、国家意識が育たなかったことが、アフリカ全体の政治不安や内戦を招いたのです。
豊かすぎるゆえの悲劇
アフリカは、資源大陸と呼ばれるほど、石油・ダイヤモンド・金・コバルトなどが豊富に存在します。
ところが、この資源こそが国を貧しくしているという皮肉な現象が起きています。
資源輸出に依存する国では、政治権力者が資源収入を独占し汚職が蔓延、教育や医療への投資は後回しにされ、国全体の発展よりも一部の富裕層だけが潤う構造が続いています。
これを「資源の呪い」と呼び、ナイジェリアやアンゴラなどがその典型例です。
さらに資源収入が安定すると、政府は他の産業を育てる努力を怠りがちになります。
結果として、製造業や農業が発展せず、世界経済の中で「原料を安く輸出し、加工品を高く輸入する」構造に固定されてしまうのです。
援助依存と教育・政治の遅れ
アフリカには毎年、国連・世界銀行・先進国の政府やNGOから莫大な援助が流れ込んでいます。
一見、善意の支援に見えますが、実はこの「援助依存」が新たな問題を生んでいるのです。
たとえば、無償の食料援助が続くと、現地農家が価格競争に負けて農業が衰退、またインフラ整備や公共事業が外国企業主導で進むことで、地元の雇用や技術が育たず依存体質が深まるのです。
さらに、国際金融機関の融資には構造改革の条件が課され、公共サービスの削減や民営化が進み、教育や医療の格差を広げてしまうこともあります。
加えて、政治の腐敗や長期独裁も深刻で、ジンバブエのムガベ政権をはじめ、権力の世襲や長期支配が続く国では、経済政策が硬直し国民の生活が改善されません。
教育制度も十分に整っておらず、特に女子教育の遅れが社会の発展を妨げています。
せっかく教育を受けた人材が国外に流出する「ブレイン・ドレイン」も起こり、国の発展に必要な人材が国内に残らないのです。
まとめ
アフリカの貧困は、単なる経済の遅れではなく、歴史・資源・政治・教育が複雑に絡み合った構造的問題が大きいでしょう。
この負の連鎖を断ち切るためには、短期的な支援ではなく自立を促す長期的な投資が必要です。
貧困を救うのではなく、脱する力を育てる…それが、私たちが本当に考えるべき国際貢献の形ではないでしょうか。
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