なぜ福岡市に福岡駅はないのか?博多が駅名になったその理由が想像以上に深かった

なぜ福岡市に福岡駅はないのか?博多が駅名になったその理由が想像以上に深かった

実は福岡市には、JRの福岡駅は存在しません、なぜ福岡市なのに博多駅なのか…?

そこには、江戸時代から続く二つの町の対立と妥協という、福岡ならではの歴史が隠されています。

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そもそも福岡は一つの町ではなかった

現在の福岡市は、もともと博多と福岡という二つの町から成り立っていました。

博多は、古くから商人の町として栄えた地域で、中国や朝鮮との交易拠点でもあり、独自の自治文化を育んできました。

一方の福岡は、黒田藩の城下町として発展した武士の町、政治と統治の中心地でした。

この二つの町は、那珂川を境に分かれており、江戸時代の身分制度の影響で、商人の町・博多と、武士の町・福岡の間には、心理的にも物理的にも距離があったとされています。

つまり、現在の福岡市は、最初から一体の都市だったわけではなく、異なる成り立ちを持つ二つの町が並び立っていたのです。

明治の市制施行で起きた市名論争

転機となったのは、明治22年(1889年)の市制施行です。

博多と福岡は合併し、一つの市になることが決まりましたが、ここで大きな問題が持ち上がります。

市の名前をどうするか?博多派は「歴史も知名度もある博多市こそふさわしい」と主張し、福岡派は「藩政の中心だった福岡市が妥当」と譲らず、対立は市議会でも激しく、採決はかなり拮抗したと伝えられています。

よく語られるエピソードとして「13対13の同票になり、議長裁定で福岡市に決まった」という説があります。

ただし、これは史料的に完全に裏付けられているわけではなく、あくまで有力な説の一つです。

それでも、僅差で福岡市に決まったこと、政治的判断が大きく影響したことは間違いありません。

こうして誕生したのが、現在の福岡市です。

博多駅は歴史的な落としどころだった

では、なぜ市名が福岡になったにもかかわらず、中心駅は博多駅になったのでしょうか。

それは、博多側への最大の配慮でした。

市名では福岡に譲る代わりに、九州の玄関口となる鉄道の拠点を博多に置く、これは両者が納得するための、いわば妥協案だったのです。

結果として、市の名前:福岡市、九州最大のターミナル駅:博多駅、という少し不思議な構造が生まれました。

現在も、商業・ビジネスの中心は天神、交通と新幹線の拠点は博多、という役割分担が続いています。

福岡と博多が混在して分かりづらいのは、単なる観光上の不親切さではなく、歴史がそのまま街に残っている証拠なのです。

まとめ

福岡市は、博多と福岡の二つの町がそれぞれの誇りと歴史を背負い、ぶつかり合い、そして妥協した結果が現在の街の姿です。

この少しややこしい構造こそが、福岡という都市の奥深さであり面白さでもあります。

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