明治や昭和と比べると、どこか影が薄い大正時代、学校では大正デモクラシーや第一次世界大戦などを習ったものの、なぜ大正は15年しかなかったの?と聞かれると、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。
さらに、大正天皇についても、どんな人物だったのかは知らない…という人は少なくないはずです。
なぜ、大正はわずか15年で終わったのか?

大正時代が始まったのは1912年7月30日、明治天皇の崩御を受け、当時32歳だった嘉仁親王が第123代天皇として即位し、元号が「大正」へと変わりました。
しかし、大正天皇は決して丈夫な体ではなく、生後間もない頃から重い病気に苦しみ、学習院へ入学してからも体調不良による欠席が続き、最終的には健康上の理由から退学し、その後は個別に教育を受けています。
天皇に即位してからも体調は安定せず、1913年には肺炎を発症、その後も健康状態は徐々に悪化し、言葉を発することや歩くことにも支障が出るようになります。
そして1921年には、公務を続けることが困難になったため、皇太子だった裕仁親王、後の昭和天皇が摂政に就任、実質的に天皇の公務を代行するようになりました。
大正天皇はその約5年後となる1926年12月25日、47歳で崩御します。
こうして大正は15年で幕を閉じたのです。
知られざる大正天皇の素顔
大正天皇には長い間、暗愚だったというイメージが付きまとってきました。
その象徴として有名なのが、帝国議会で詔書を丸め、望遠鏡のように覗いたとされる、いわゆる遠眼鏡事件です。
この逸話によって、大正天皇の判断力や知性に問題があったかのようなイメージが広まりましたが、このエピソードは発生した時期や内容にも諸説あり、実際に望遠鏡のように覗いたと断定できるものではありません。
実際の大正天皇には、あまり知られていない一面があり、皇太子時代には全国各地を訪問し人々と交流、また文学をこよなく愛し、生涯に数多くの作品を残しています。
家庭では1900年に九条節子、後の貞明皇后と結婚、側室を置かず、後の昭和天皇を含む4人の皇子に恵まれました。
子どもたちと遊ぶこともあったとされ、現在残る厳格な肖像写真とは少し違った父親としての顔も持っていたのです。
大正という短い時代を知るには、大正天皇がどんな人生を歩んだ人物だったのかを知ることから始めると、これまでとは違った日本史が見えてくるのかもしれません。
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