歩き始めたばかりのわが子が小さな段差でつまずいています。
「そこ、ちょっと危ないな。抱っこしちゃおうかな?でも、もう少し手を出さずに見守ろうかな?」
こんな時、みなさんはどれくらい待ちますか?それともすぐにわが子を助けてあげますか?
子育て中の親なら誰でも日常的に迫られるちっぽけな決断。
けれどもこのちっぽけな決断の連続こそが子育てそのものであり、その後何十年と続く親子関係に大きく影響します。
ここでは、私自身の子育て体験と幼児教室講師として見てきた数々の親子関係をもとに、どこまで見守る?手だしする?問題に迫りたいと思います。
私自身の子育ての場合
第一子が乳児のころは、それこそ生活の全てが赤ちゃんを中心にまわっていました。
私自身もその頃は、この子のためにどんなことでもしてあげたいし、どんな困難も取り除いてあげたいと思っていました。
たとえば赤ちゃんがスヤスヤ眠っている寝顔をみて、真剣に考えました。
「怖い夢を見ていないかしら?どうして夢の中までついて行ってあげられないのだろう?」って。
けれど自分では何もできなかった赤ちゃんが、だんだんとモノをつかみ、おすわりをして、ハイハイして移動するようになると、自分のなかで憑き物が落ちたように何かが変わりました。
赤ちゃんにも意思がある。
私の思うようになんてならない。
これからは最低限、危険な時だけ手を貸そう。
それは、赤ん坊の成長とともに私の意識まで変化するように、最初からプログラミングされていたとしか思えない不思議な体験でした。
その後は持ち前の大雑把さが全面にでて、わが子が園児になる頃には雨上がりの水たまりで泥んこになって遊びだしても、「お風呂場に直行すればいいや」と見ている母親になりました。
あまりの汚さに周りのママ友は多少、引いていましたが…。笑
自己学習や習い事など、一つの事を意欲的に取組み続けることは、興味が分散しやすい小さな子どもにとってとても難しいことです。 子どものやる気を駆り立てるためにどうサポートするかは、ママパパにとっても育児における悩みの種の一つに違いありませ[…]
5歳児Mちゃんとパパの場合
私が教えていた幼児教室に体験レッスンに来たMちゃんは、とてもシャイなお嬢さんで同席されたパパの陰に隠れて目線も合わせてはくれません。
でも既存の生徒さんたちは初めて会うMちゃんに興味津々、悪気のない好奇の目をMちゃんに向けます。
そこでMちゃんのパパが既存生徒さんに向かって一言。
「Mちゃんを見ないでくれる?見られると余計緊張するから」
Mちゃんのパパは他の子供たちの視線からさえMちゃんを守りたかったのです。
小学一年K君とママの場合
同じく私が教えていた教室でのある年のクリスマスパーティーでのエピソードです。
パーティの最後に生徒さん同士で持ち寄ったプレゼントを交換することを、どの子も楽しみにしていましたが、気に入らないプレゼントが当たったK君は「こんなの、いやだー」とヘソを曲げてしまいました。
当のプレゼントを持ってきた生徒さんの気持ちも心配ですし、クリスマスは今あるものに感謝しようね…とK君をいさめたのですが、その後K君のママからクレームが。
うちの子は、あんなにいいものを贈ったのに、受け取ったのがコレではあまりに不公平だと。
K君ママはK君のことを愛するあまり、わが子がすこしでもがっかりする事に耐えられなかったのでしょう。
まとめ
どの親御さんの気持ちもよくわかりますよね?
親がどこまでわが子を守るのか、あるいはわが子が痛みを覚えていても、あえてそばで見守るのか。
いずれも、わが子を大切に思うからこその葛藤です。
けれど残念ながらどの親もずっとわが子を守れるわけではない。
その点を認識しながら葛藤と選択を繰り返していくことこそが子育ての本質ではないでしょうか。
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