日本には観光名所として有名な場所もあれば、歴史の裏側に恐ろしい過去を秘めた禁忌地も存在します。
今回は、読者の皆さんがきっと驚くであろう、三つの実在する呪われた場所について紹介します。
この場所たちには、ただの観光では味わえない恐怖と悲しみの物語が刻まれています。
雲仙地獄
長崎県の有名な温泉地帯、雲仙地獄、この地はかつてキリシタンが迫害された恐ろしい場所です。
キリシタンとは、ポルトガル語でキリスト教徒を意味します。
フランシスコ・ザビエルは日本にキリスト教を広めた最初の人物で、多くの人々が彼によってキリスト教に改宗しました。
長崎県は、キリスト教の布教により、特にキリシタンが多くいました。
しかし、豊臣秀吉がキリスト教を禁止する「禁教令」を出しました。
豊臣秀吉は、キリスト教徒の「強い信仰心」を嫌っていました。
また、新しい信者を使って神社仏閣を破壊、仏像を「悪魔の像」と称して焼却、挙句の果てには、仏教徒などの異教徒を奴隷として船に乗せて外国で売り捌く、という実害もあったのです。
江戸時代、徳川幕府になると禁教はさらに厳しくなり、キリスト教を捨てない者たちには拷問や迫害が待っていました。
雲仙地獄では、「硫黄の熱湯を体に浴びせ続ける」という残酷な方法でキリシタンが処刑されました。
それでも彼らは賛美歌を歌い、祈り続けたといいます。
その後、彼らは大火傷状態のまま、熱い湯壷に押し込められて絶命しました。
この恐ろしい過去が雲仙地獄には刻まれており、訪れる者に冷たい恐怖を与えます。
つけび村
山口県周南市にある小さな村、通称「つけび村」は、携帯電話がつながらないほど過疎化が進んだ限界集落です。
2013年、この村で連続殺人事件が起きました。
村の人口はわずか14人で、そのうちの5人が一夜にして命を奪われたのです。
7月21日21時過ぎ、民家2軒が火災で全焼し、3人の遺体が発見されました。
その後、近隣住宅からさらに2人の遺体が見つかり、いずれも鈍器で殴られた跡がありました。
火災で全焼した民家の隣の家で、奇妙な張り紙「つけ火して 煙り喜ぶ 田舎者」という言葉が書かれた紙が見つかりました。
その後、まもなくして近くに住むAが逮捕されました。
Aは、村の中で孤立し、住民たちとのトラブルに苦しんでいたことが事件の背景にありました。
村おこしを提案するも拒否され、冷たくされる日々が続き、結果的にこの悲劇を招いてしまったのです。
「つけ火して」とは、集落の中で自分の悪口を言われること。
「田舎者」は、集落の人。
を、指すようです。
岡田更生館
岡山県の岡田村にあった岡田更生館は、1946年に設立された就労支援施設でした。
当時は、太平洋戦争が終わった直後で、家や職を失った人がとても多くいました。
また、敗戦後の景気の悪さで、自動的に犯罪も増える傾向にあり、犯罪に手を染める人も多くいました。
そんな中、困っている人たちを救済するために、全国に更生施設が立つようになりました。
その厚生施設の中でも、この岡田更生館は「模範施設」と呼ばれるほど有名な施設だったのです。
しかし、その実態は地獄のような環境で、施設内では日常的な暴力や粗末な食事、劣悪な衛生環境が収容者たちを苦しめていました。
岡田更生館で、少なくとも72名が命を落とし、その多くは脱走を試みた末に酷い暴力を受けて亡くなったのです。
脱走者に成功した一人が新聞社に告発し、施設の実態が明るみに出ました。
国からの給付金の横領や、亡くなった収容者の遺体を焼却するなどの信じられない事実が発覚しました。
この施設は、多くの人々にとって希望の場であるはずが、恐怖と絶望の場所となっていたのです。
まとめ
今回紹介した三つの場所には、それぞれ恐ろしい過去が隠されています。
犠牲になった人々のことを忘れず、その歴史をしっかりと受け止めることが大切ですね。
あわせて読みたい|マタイク(mataiku)