日本には「絶対に入るな!」と警告される禁足地がいくつか存在します。
歴史的な背景や神聖な理由で一般人の立ち入りが禁止されている、いわゆる「禁足地」は、ただの怖い話や都市伝説ではなく実際に存在しているのです。
今回はその中から、歴史的な重みと神秘性を持つ2つの禁足地を紹介します。
戦火の激戦地「硫黄島」
硫黄島(いおうじま)は、東京都に属する小笠原諸島に位置し、太平洋戦争中に日米の激しい戦いの舞台となりました。
島の大きさは東西8km、南北4kmの小さな島ですが、その歴史は非常に重く、戦争の爪痕がいまだに残っています。
硫黄島は、太平洋戦争時、1945年2月19日から36日間にわたって続きました。
硫黄島は1968年にアメリカから日本に返還されましたが、現在でも海上自衛隊が管理する航空基地があり、一般人の立ち入りは禁止されています。
その理由の一つとして、多くの不発弾が残されていることが挙げられます。
戦時中に使用された爆弾や地雷がまだ島内に散在しており、もし一般人が不用意に立ち入ると、これらの不発弾が爆発する危険性があるのです。
しかし、硫黄島が禁足地となっているのは物理的な危険性だけではありません。
この島には、まだ1万人以上の戦没者の遺骨が回収されていないとされています。
日本兵約2万人、アメリカ兵約7,000人が命を落とした激戦地で、彼らの魂が未だこの地に留まっていると信じられています。
実際に、硫黄島で勤務する自衛隊員たちは、しばしば戦死者の霊を目撃すると言います。
硫黄島で勤務する自衛隊員は、小銃を持ち歩くことが禁止されているそうです。
なぜなら、自衛隊員が心霊現象に遭遇することも少なくなく、パニックに陥った隊員が小銃を誤射する事故が何度も起こっているからです。
心霊現象が多発するため、ノイローゼになる自衛隊員も多いといいます。
夜な夜な水を求める声が聞こえたり、兵士たちが国歌を歌っているような不可解な現象も報告されています。
さらに、島を出る際には靴や服に付いた砂を一粒残らず落とさなければならないという厳しいルールがあります。
もし、砂や石を持ち帰ってしまうと、恐ろしい怪奇現象が起こるという言い伝えもあります。
硫黄島は戦争の悲劇を物語る場所であり、その歴史的な重みとともに、戦没者の魂が静かに眠る禁足地として知られています。
神聖な場所「伊勢神宮御正殿」
三重県伊勢市にある伊勢神宮、この神社は日本中の神社の中でも最も神聖な場所とされ、天照大御神(アマテラスオオミカミ)と豊受大神(トヨウケノオオカミ)を祀っています。
伊勢神宮には内宮と外宮があり、それぞれが特別な神明造という建築様式で作られていますが、特に注目すべきは、内宮の御正殿(ごしょうでん)です。
この御正殿は、日本の最高神である天照大御神が鎮座する場所であり、神道の中心とも言える存在です。
この御正殿には、三種の神器の一つである「八咫鏡(やたのかがみ)」が奉安されており、そのため皇族ですら立ち入ることが許されない場所となっています。
明治天皇が「今後私の子孫で八咫鏡を見ることを禁ずる」との掟を定めたことで、現在では御正殿内に足を踏み入れることができるのは神職のみです。
なぜ明治天皇がこのような禁忌を設けたのか、その理由は謎に包まれています。
一つの説として、八咫鏡に「不都合な事実が刻まれている」というものがあります。
かつて八咫鏡を見たという人物の証言によれば、鏡の裏には「日本語ではない文字」が記されていたと言われています。
これが「ヘブライ語ではないか」との指摘もあり「日ユ同祖論」と結びつけられることもあります。
このように、八咫鏡には何かしらの神秘的な秘密が隠されていると考えられているのです。
また、伊勢神宮は、持統天皇を最後に、明治天皇の時代まで天皇が参拝することがなかったといわれています。
天皇が参拝しなかった理由は、神のお告げで鏡と「寝食をともにする」ことを勧められたのにもかかわらず、「畏れ多い」という理由であえて遠ざけていたからではとされています。
まとめ
どちらの場所も、現代の私たちが軽々しく踏み込めない領域です。
しかし、それだけに一層、歴史や文化、神秘に満ちた場所として興味をかき立てられますね。
このような禁足地に関心を持つことは、単なる怖い話ではなく、日本の歴史や信仰を深く理解するきっかけになるのではないでしょうか?
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