華族令嬢の吉井徳子が巻き起こしたスキャンダル、不良華族事件。
叔母の柳原白蓮も巻き込んだこの事件の真相とは?
華やかなダンスホールと恋愛関係の裏に隠された人生を紹介します。
不良華族事件
吉井徳子は華族出身で、叔母にはあの有名な柳原白蓮がいます。
しかし、彼女の人生は華やかさだけでなく、大きな波乱に満ちていました。
その象徴とも言えるのが、1933年に発覚した「不良華族事件」ダンスホール事件とも呼ばれています。
この事件は、フロリダダンスホールという当時の最先端のナイトスポットから始まります。
ここは、上流階級や有名人たちが集まり、夜な夜なダンスを楽しんでいた場所でした。
この事件は、フロリダダンスホールの主任舞踏教師「小島幸吉」が警視庁に検挙されたことから始まりました。
彼が警視庁に逮捕されたことから、この事件は一気に表面化しました。
小島は「日本一の好男子」と自称して女優やダンサー、良家の娘、有閑マダムなど多くの女性と関係を持っていたといい、新聞記事の中で小島は「色魔」とまで呼ばれていました。
取り調べの中で小島は、自分に女性客を紹介したのは歌人の伯爵吉井勇の妻「徳子」であることを自供したのです。
なんと徳子は、愛人であった小島の愛情と関心を繋ぎ止めるために、友人の有閑マダムを次々と姦通相手として彼に斡旋していたのです。
しかし、その華族令嬢たちが独身ではなく、既婚者ばかりだったため、事態は一層複雑化しました。
事件が明るみに出ると、徳子は警視庁に逮捕されました。
取り調べの過程で、徳子は文壇や画壇名士による常習的な花札賭博、麻雀賭博なども明らかになりました。
徳子は姦通罪で起訴されることはありませんでしたが、宮内省はこの事件に関与した華族を処分することにしました。
徳子は「礼遇停止」、徳子の夫の吉井勇伯爵は監督責任を問い「訓戒」の処分となりました。
この事件の後、徳子と勇は別居し離婚しました。
事件発覚前、叔母の柳原白蓮は徳子に対してダンスホールに行くのをやめるよう説教していましたが、事件後には新聞取材に対して「姪がこのような問題を起こし、叔母として恥じる次第です」と頭を下げました。
華やかな生活の裏に隠された徳子の人生は、愛のない政略結婚がいかに人を変え、破滅へと導くのかを物語っています。
恋愛と社会的地位の間で揺れ動いた彼女の運命は、多くの人々に教訓を与えることでしょう。
まとめ
不良華族事件は、彼女の人生を大きく変え、社会に衝撃を与えました。
しかし、その裏には彼女の孤独と愛の渇望があったのかもしれません。
彼女の物語を通じて、私たちは愛と社会的地位の間で揺れ動く人間の本質を垣間見ることができます。
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