幕末の英雄・坂本龍馬といえば、自由な発想と行動力で時代を動かした人物として知られています。
しかし、その裏には一人の女性、妻・お龍(楢崎龍)の存在がありました。
寺田屋事件で龍馬の命を救った女性として知られるお龍ですが、彼女の人生は単なる内助の功では語れないほど波乱に満ちていました。
坂本龍馬が惹かれたお龍の素顔
お龍は京都で生まれ、父は医師として皇族とも関わりのあった人物でしたが、政治的な動乱の中で投獄され家は困窮します。
幼くして一家を支える立場となったお龍は、自然と気の強さと行動力を身につけていきました。
有名なのが、妹を遊郭から連れ戻した逸話で、売られそうになった妹を救うため、自ら乗り込み騒動を起こして奪い返したとも伝えられています。
こうした武勇伝は後に龍馬の耳にも入り、面白い女性だ!と興味を持ったきっかけになったとも言われています。
二人が出会ったのは京都、志士たちの世話を通じて距離を縮め、1864年頃に夫婦となります。
しかし、激動の時代の中で龍馬は常に命を狙われる立場、お龍もまた志士の妻として危険と隣り合わせの日々を送ることになります。
坂本龍馬を救った寺田屋事件
お龍の名を歴史に残したのが、1866年の寺田屋事件、京都・伏見の旅籠「寺田屋」に滞在していた龍馬のもとに、幕府側の捕縛隊が迫ります。
異変に最初に気づいたのが入浴中だったお龍で、外の気配を察知したお龍は、濡れた体のまま駆け出し龍馬に危機を知らせます。
この知らせによって、龍馬は不意打ちを免れ応戦の末に脱出、命拾いをしたと言われています。
幕末の京都では志士の関係者も標的になり得る時代、もし発見されればお龍自身もただでは済まなかったでしょう。
さらにお龍は、密書の仲介や同志の世話など、裏方としての役割も担っていたとされています。
龍馬の活動は単独の英雄譚として語られがちですが、実際にはこうした支えがあってこそ成立していた側面もあるのです。
寺田屋事件の後、二人は薩摩へ行き霧島温泉などを巡る穏やかな時間を過ごしました。
後に、日本初の新婚旅行とも呼ばれるようになります。
坂本龍馬の死後、お龍の長い人生
1867年、龍馬は京都・近江屋で暗殺、31歳という若さでした。
多くの物語はここで終わりますが、お龍の人生はここからが本当の試練でした。
龍馬の死後、お龍は坂本家に身を寄せるものの、親族との関係は決して良好ではなかったと伝えられています。
やがて家を離れ、京都や江戸を転々とする生活へ、いわば流浪の人生が始まります。
明治に入り、龍馬の名声が高まるにつれてお龍にも注目が集まりますが、龍馬の遺品や記録の多くも手元を離れ、生活に困窮したという話も残されています。
そして1906年、龍馬の死から約40年後、66歳で生涯を閉じました。
まとめ
坂本龍馬の妻・お龍は、激動の時代を共に生きた当事者の一人です。
しかし、龍馬の死後の人生は決して報われたものではなく、むしろ長い孤独と苦労の連続、歴史は英雄の光を強く照らしますが、その陰には語られない人生があります。
龍馬の物語を語るとき、彼を支えた一人の女性の存在にも目を向けることも大切でしょう。
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