貧しい人々の聖女として世界中で知られるマザー・テレサ、インド・コルカタを中心に貧困や病に苦しむ人々を支援し、1979年にはノーベル平和賞を受賞、死後の2016年にはカトリック教会の「聖人」に列せられました。
しかし、その輝かしい功績の裏では、施設の医療環境や寄付金、問題のある人物との関係など、さまざまな批判が繰り返されてきましたが、世界的な聖女は、どのような人物だったのでしょうか。
マザー・テレサ、世界中から称賛された聖女

マザー・テレサは1910年、現在の北マケドニア・スコピエに生まれ、18歳で修道生活を志しその後インドへ渡ります。
教師や校長として働いた後、貧困に苦しむ人々のために生きることを決意、1948年からコルカタのスラムなどで活動を始め、1950年には「神の愛の宣教者会」を設立しました。
特に知られているのが、路上で死に瀕していた人々を受け入れた「死を待つ人の家」です。
孤児やハンセン病患者などへの支援にも活動を広げ、やがてその取り組みは世界各地へ拡大しました。
こうした長年の活動が評価され、1979年にはノーベル平和賞を受賞、賞金を貧しい人々のために使う姿勢も大きく報じられ、慈愛の象徴として世界的な存在になります。
1997年に87歳で亡くなると、カトリック教会は通常必要とされる死後5年間の待機期間を免除し、異例の早さで列聖に向けた手続きを開始、2003年に列福され2016年には正式に聖人となりました。
医療環境や寄付金に疑問「聖女」の裏側で続いた批判
評価が高まる一方で、彼女の活動に疑問を投げかける声も存在しました。
最も大きな批判の一つが、「死を待つ人の家」などの医療・衛生環境で、コルカタ出身の医師アループ・チャタージーは、長年にわたり施設の実態を調査、元ボランティアらへの聞き取りから、十分な鎮痛処置が行われなかったことや、注射器の使い回し、古い医薬品の使用などがあったと指摘しました。
世界中から多額の寄付が集まっていたにもかかわらず、なぜ医療環境をもっと改善しなかったのか?この疑問に関連して指摘されているのが、マザー・テレサの苦しみに対する宗教観です。
彼女は苦しみに宗教的な意味を見いだしていたとされ、それが施設運営にも影響したのではないか?と批判、一方で自身が心臓病を患った際には高度な医療を受けていたことも、批判を強める要因となります。
さらに、詐欺事件で有罪となった金融家チャールズ・キーティングから多額の寄付を受け取っていたことや、ハイチの独裁者ジャン=クロード・デュヴァリエとの関係など、誰から寄付を受け取っていたのか?も問題視されています。
また、死に瀕した患者に本人が十分理解しないまま洗礼を施していたとの元修道女の証言もあり、慈善活動と布教の境界についても議論が続き、2016年の列聖そのものにも疑問が向けられています。
ただし、こうした批判があるからといって、マザー・テレサが長年にわたり貧困や病、死と向き合う現場で活動した事実まで否定されるわけではありません。
実際、彼女の死後には施設の衛生環境や医療体制が改善されたとも伝えられています。
医療環境や寄付金、宗教観などをめぐり、現在まで消えない批判があるのも事実ですが、単純に二分するのではなく、功績と問題点の両方を見ることで、マザー・テレサという人物の複雑な実像が浮かび上がってきます。
あわせて読みたい|マタイク(mataiku)