世界には足を踏み入れるだけで命の危険を感じる場所があることをご存知でしょうか?
南アフリカ・ヨハネスブルクにあるポンテタワーは、一時期「15秒で命を落とす」と言われるほど恐ろしい場所として知られていました。
かつては高級マンションだったこの建物が、なぜ廃墟化し、犯罪の温床となったのか?そして、現在はどうなっているのか?
その驚くべき歴史と変遷を紹介します。
15秒で●されると言われたポンテタワーの歴史
ポンテタワーの誕生
1975年、南アフリカのヨハネスブルク中心部にポンテタワーが誕生しました。
この建物は高さ173メートル、54階建で、アフリカ大陸で最も高い住宅ビルとして建設、その設計は独特で、建物の中央に巨大な空洞があり、各階の住居には自然光と風が届くように、当時の最新構造で造られました。
当時のヨハネスブルクはアパルトヘイト政策の真っ只中で、白人富裕層が都市中心部に住むことが主流になっており、ポンテタワーは都市生活を楽しむための最先端の高級マンションとして、エリートたちが集う憧れの住居して注目されました。
なぜ、ポンテタワーは廃墟と化したのか?
1990年代初頭、アパルトヘイト政策の終了により、南アフリカ社会は大きな変革期を迎えました。
白人富裕層は郊外へ移住し始め、都市中心部には経済的に困窮する人々が流入、ヨハネスブルク全体の治安が悪化する中、ポンテタワーも例外ではありませんでした。
住人が離れ、空室が増加すると、タワー内にはギャングや犯罪組織が侵入し、タワー全体が「犯罪の巣窟」と化していきます。
犯罪の巣窟と化したポンテタワーは、違法な活動が横行し、さらなるスラム化が進んだのです。
廃墟化後のポンテタワー
ポンテタワーが最も恐れられたのは、廃墟と化した時代です。
中央の空洞部分はゴミ捨て場として使われ、最悪の時期にはゴミが高さ5階分にも達したといわれます。
そこから漂う悪臭や害虫の発生は、衛生状態をさらに悪化させました。
ギャングが支配する無法地帯となったタワーでは、麻薬取引や武器密売、売春が横行し、「入れば15秒で命を落とす」とまで言われる危険地帯と化しました。
中央空洞部分は犯罪者にとって「抹殺の場」としても使われ、恐怖の象徴となり、この時期には、警察でさえタワー内部に踏み込むことを躊躇するほどと言われています。
再生プロジェクトと現在のポンテタワー
2000年代に入ると、ヨハネスブルクの再開発プロジェクトの一環として、ポンテタワーの再生が試みられました。
まず行われたのは、中央空洞部分に溜まった膨大な量のゴミの除去作業です。
数年間放置されていたゴミを取り除き、建物全体の衛生状態が改善しましたが、現在もすべてのゴミを取り除くことは出来てないようです。
現在のポンテタワーは、中流層向けの住宅として再利用されています。
一部の階は観光客向けに公開されており、ツアーを通じてその歴史や建築のユニークさを体験することができます。
また、タワーの住民も地元コミュニティと連携しながら安全性を確保し、健全な生活が送れる環境が整えられました。
かつて「最も危険なタワーマンション」として知られたポンテタワーは、現在では「再生と復活」の象徴として、新たな役割を果たしているのです。
まとめ
ポンテタワーは、かつての高級マンションから犯罪の巣窟、そして再生プロジェクトを経て再び人々が住む場所へと変貌を遂げた建物です。
その歴史は、南アフリカ社会の変化や都市問題を如実に映し出しています。
廃墟化した時代の恐ろしさは決して忘れることができませんが、それを乗り越えた現在の姿は、ヨハネスブルクの希望の象徴ともいえるでしょう。
ポンテタワーの物語は、単なる建物の歴史ではなく、そこに生きる人々や社会の変遷を語る重要な一章です。
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