白金台にドン・キホーテ?冗談でしょ…?そんな声が飛び交ったのも今や昔。
港区白金台、ハイソな暮らしの象徴ともいえるこの街に、庶民派の殿堂「ドン・キホーテ」が堂々オープンしてから、2025年でついに10周年を迎えました。
かつては「シロガネーゼからの反発の嵐」に晒されたこの出店は、いかにして高級住宅街に受け入れられ、いまや街の顔の一つとして定着したのでしょうか?
なぜ白金にドンキ?

プラチナ ドン・キホーテ白金台店は、2015年5月29日にオープン、場所は目黒通りとプラチナ通りの交差点、都営三田線・東京メトロ南北線「白金台駅」から徒歩2分という超一等地です。
かつてここには「東急ストア白金台店」があり、地域住民の生活を支えていましたが、2014年に閉店、その跡地をドン・キホーテが引き継ぐという報道は、すぐに大きな波紋を呼びました。
そもそも、なぜ庶民派の象徴ともいえるドン・キホーテが、格式高い白金台という地を選んだのでしょうか?
ドンキ側の狙いは明確でした。
「これまで出店してこなかった層にリーチする」こと、つまり高所得層や富裕層に向けた新業態の実験だったのです。
東京中央支社の支社長が当時語ったように、「年商25億円を目指すが、成功を前提にはしていない」と、あくまでチャレンジとして位置付けられていたことがわかります。
シロガネーゼの猛反発!建設前から大論争
「ドンキが来るらしい」という噂が立った途端、白金台界隈には不安と反発の声が広がりました。
「ブランドイメージが崩れる」
「街の景観が壊れる」
「若者の溜まり場になるのでは?」
中でも、白金マダム──いわゆる“シロガネーゼ”たちの懸念は強く、建設計画に対する反対運動も巻き起こったほど。
従来のドンキ特有の派手な看板やネオンが白金台の落ち着いた街並みにそぐわないとされ、「とても受け入れられない」とする意見が大勢を占めていました。
白金仕様へと大転換
ドンキ側はこうした反対意見を受けて、方針を大きく転換します。
従来の派手な装飾や店舗スタイルをすべて捨て去り、「白金にふさわしいドンキ」を一から設計し直しました。
その結果、誕生したのが「プラチナ ドン・キホーテ 白金台店」です。
このプラチナという冠も、地名白金にかけた洒落っ気と高級感を意識したもので、看板のロゴはアルファベット表記、外観は白とシルバーを基調にし、BGMにはクラシック音楽を流すという徹底ぶりです。
さらには、地域のニーズに応えるために、次のような特徴も打ち出しました。
- 三重県の高級和牛専門店「朝日屋」のテナント出店
- オーガニック・無添加食品の充実
- 高級ワイン・シャンパンの豊富な品ぞろえ
- 静かな照明・落ち着いた内装
- 惣菜は200円台からと、庶民感も維持
まさに、庶民価格×高級演出という逆転の発想で、白金台の住民たちの心を徐々に掴んでいきました。
10年経ってどうなった?
現在では、プラチナドンキは白金台の日常に溶け込み、シロガネーゼたちも普通に通う買い物スポットとして利用しています。
子育て世帯や高齢者、さらには外国人居住者など多様な層のニーズを捉えた商品構成は、「白金台にしかないドンキ」として一定の地位を築いています。
実際、他の実験業態ドンキが早期閉店に追い込まれる中、プラチナドンキは10年生き延び、しかも黒字を維持しているという点で明らかに異例です。
まとめ
高級住宅街にドン・キホーテ、それは一見するとミスマッチでした。
しかし、ドンキは地域住民の声を丁寧に拾いながら、業態を大胆にカスタマイズすることで、白金という特異な市場に新たな価値を生み出しました。
10周年を迎えた今、その店舗は「ドンキらしからぬドンキ」として、人々に親しまれています。
「批判をどう受け止め、どう形を変えるか」がいかに大切かを示す、ビジネスの好例と言えるでしょう。
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