昭和の看守たちを震え上がらせた伝説の男、白鳥由栄(しらとり よしえ)。
脱獄成功4回、累計逃走3年。鉄格子を切り、天井をぶち抜き、床を掘る。現代では考えられない手口で、まるで映画のような脱獄劇を実行した「昭和の脱獄王」です。
漫画『ゴールデンカムイ』の「白石由竹」にもモデルなっています。
彼はいったいどんな人物で、なぜ何度も脱獄に成功したのでしょうか?
昭和の脱獄王・白鳥由栄とは?

1907年、青森県に生まれた白鳥由栄は、父を早くに亡くし、3人きょうだいの次男として育ちますが、母が再婚。
白鳥は姉とともに父方の叔母に引き取られ、豆腐屋で暮らすことになります。
しかし思春期に入ると素行が悪化し、1933年に仲間と強盗殺人を犯し投獄、彼の長く過酷な服役人生が始まります。
第1回脱獄|青森刑務所(1936年)
青森刑務所に収監された白鳥は、看守からの暴力や屈辱的な扱いを日々受けていました。
耐えきれなくなった白鳥は過酷な懲罰に抗議するため、ついに最初の脱獄を決行します。
驚くべきはその手口!なんと手桶の金具(タガ)を加工して手製の合鍵を作成したのです。
看守の巡回パターンを徹底的に分析したうえで、深夜の15分間だけ生まれる監視の穴を利用して脱獄に成功します。
しかし翌日には自首し、結果的に罪が重くなり無期懲役となってしまいます。
再び刑務所へと戻されました。
第2回脱獄|秋田刑務所(1942年)
次に移送された秋田刑務所では、脱獄歴のある危険人物として特別独房に収監されます。
冬の極寒にも防寒具を与えられず、命の危機を感じた白鳥は脱獄を決意。
特別独房には、3メートルの銅板の壁に囲まれ、天井の高い位置にしか窓がない厳重な造り、白鳥は天窓の腐食を見抜き、脱出を計画しました。
見回りの隙を突き、釘とブリキ片で即席ノコギリを作成、毎晩10分間、少しずつ鉄格子を切断し暴風雨の夜を狙って天井から脱獄したのです。
塀を越える際には工場の丸太を活用したといいます。
その後3ヶ月かけて東京まで移動し、かつて親切にしてくれた看守・小林を訪ね出頭、再び収監されました。
第3回脱獄|網走刑務所(1944年)
前代未聞の脱獄犯として、難攻不落と恐れられた網走刑務所に移送された白鳥は、ここでも凄まじい虐待に遭い、冬でも夏物の服、足錠と手錠は常時装着、蛆の湧く環境で過ごしていました。
この対応に死を覚悟した白鳥は、再び脱獄を決意します。
彼は、手錠の釘に1年間味噌汁を吹きかけ、塩分で腐食させるという執念の作業を続けます。
さらに関節を脱臼させて抜け出し、頭突きで天窓を破壊、煙突を引き抜き、塀を乗り越えて逃亡、脱獄王の名にふさわしい、恐るべき執念と知恵です。
だが、約2年後、偶然遭遇した農家にスイカ泥棒と誤解され暴行を受け、抵抗する中で相手を殺害、この事件で白鳥は死刑判決を受け、札幌刑務所へと送られました。
第4回脱獄|札幌刑務所(1947年)
札幌刑務所では、史上最も厳しい警備のもと白鳥専用の独房が用意されます。
死刑判決を受けた白鳥は、再び脱獄を決意、今度は看守6人による24時間体制の監視付きの鉄壁の特別房からの挑戦でした。
鉄くずからノコギリを作り、震える演技で体を揺らしながら毎日少しずつ床板を切断、最終的に床下に出て、雪を利用して塀をよじ登り、4度目の脱獄を成功させます。
脱獄から約300日後の1948年、白鳥は町で声をかけてきた警官からタバコをもらった恩義を感じ、自らの名前を名乗り逮捕されます。
人間的な扱いに心が動いた瞬間
その後の裁判では刑務所での過酷な待遇が一部認定され、死刑から懲役20年に減刑。
府中刑務所では初めて「普通の受刑者」として扱われた白鳥は、模範囚として矯正されていきました。
1961年には仮釈放、以後は建設作業員として静かな余生を過ごし、1979年、心筋梗塞で71歳の人生を閉じます。
昭和の脱獄王は、なぜ伝説になったのか?
白鳥由栄が「脱獄王」と称されたのは、知恵だけではありません。
彼は特殊な体質で関節を自由に外すことができ、頭が通る穴さえあれば全身をくぐらせることが可能だったと言われています。
また健脚であり、1日120kmを走破、怪力ぶりも凄まじく、手錠4つを素手で引きちぎったという逸話も。
収監中の相撲大会では常に横綱級の強さを見せていたそうです。
白鳥の脱獄劇がここまで語り継がれているのは、単なる犯罪者としてではなく、「制度の矛盾に抗い、自分の命を守るために戦った人物」としての側面があるからです。
看守たちは「脱獄するなら、俺が当直じゃない日にしてくれ」とまで口にしてたようです。
2017年(平成29年)バラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』で、実際に処分を受けた元看守の男性が出演しました。
白鳥が脱獄したのは自分が交代した後だったが、新人だったということもあり信じてもらえず、始末書を書かされ1か月の減俸処分になったというエピソードを明かしています。
しかし、白鳥は二度目の逮捕時に「俺はこの人(元看守の男性)の時に逃げたわけじゃねぇ。この人は真面目に見回りしてたから逃げる隙なんてなかった。」と証言し、後に男性の潔白が証明された語りました。
戦時中の手錠や監房の質の低さも要因でしたが、それ以上に白鳥自身の工夫と執念が異常だったのでしょう。
まとめ
白鳥由栄の脱獄劇は、ただの犯罪者の逸話ではありません。
どんなに劣悪な環境でも諦めない執念、緻密な観察と知恵、そして最後には「人として扱われた」ことに感動して更生した彼の人生は、昭和という時代を象徴するドラマそのものでした。
今では考えられないような脱獄方法の数々、そのすべてが、白鳥という一人の男の人間としての尊厳をかけた闘いだったのです。
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