江戸時代、日本にはクジラで栄えた村が存在していました。
クジラ1頭で現在の価値にして数千万円規模の利益を生むこともあり、村全体が捕鯨によって支えられていました。
そして時代が進むにつれ、海からクジラが減り始めたことで、クジラが来ることを前提に作られた社会は静かに崩壊していくことになります。
江戸時代の捕鯨は「漁」ではなく数百人規模の巨大産業だった
江戸時代のクジラ漁は、村をあげて行う巨大事業であり、ひとつの組織で500人から600人規模が動くことも珍しくありませんでした。
まず重要だったのが、山見(やまみ)と呼ばれる存在、山見は夜明け前から山頂の見張り小屋へ登り、双眼鏡もない時代に肉眼だけで沖合を監視し、潮吹きの高さや形、海流、風向き、波の違いなどから、どの種類のクジラがどこを泳いでいるのかを判断していたと言われています。
クジラを見つけると、山見はのろしや旗、ホラ貝を使って沖の船団へ合図、勢子船(せこぶね)が船べりを叩いて大きな音を出し、クジラを驚かせながら巨大な網の方向へ追い込んでいきます。
その網は長さ100メートル近いものもあり、海に巨大な壁を作るような規模だったと言われています。
江戸時代の捕鯨で最も危険だったと言われるのが「鼻切り」で、漁師がまだ暴れているクジラの背中へ直接飛び乗り、呼吸口付近へ縄を通して深く潜れないようにする作業で、一瞬の判断ミスが命取りに…また巨大な尾びれに船ごと吹き飛ばされることもあれば、銛につながった縄が高速で船上を走り、その縄に足が絡まったまま海へ引きずり込まれる者もおり、記録には一度に数十人、時には100人以上が命を落とした例も残っています。
それほど危険な仕事だったにもかかわらず、人々が海へ出続けた理由は、クジラ1頭が村全体を生かしていたからです。
クジラ1頭の価値は、現在の価値に換算すると1500万円から3000万円ほどとも言われています。
まさに、一頭仕留めれば村が潤う一攫千金の世界だったのです。
村に訪れた試練
そんな捕鯨の町にも少しずつ変化が訪れ、かつて近海を泳いでいたクジラは徐々に減り、漁師たちはより危険な沖合へ向かわなければならなくなっていきます。
さらに、そこへ追い打ちをかけたのが外国船の存在です。
大型の外国船は大量のクジラを仕留め、油だけを抜き取り、残りの肉や骨は海へ捨てていったと言われています。
日本では、命を余すことなく捨てる場所がない資源とまで言われたクジラ、異国では捕鯨文化がまったく違うやり方でした。
その結果、クジラの数はさらに減少していきますが、クジラが来る前提で成り立っていた村は、捕鯨を辞めることができませんでした。
そしてついに、大嵐による大規模な遭難事故が発生、多くの船が沈み100人以上の命が一夜で失われたとも言われています。
この事故をきっかけに、長年続いた捕鯨文化は、クジラの減少と共に静かに崩れていきました。
まとめ
江戸時代の捕鯨は、数百人規模で動く巨大産業であり、村の生活そのものを支える存在だったのです。
当たり前だと思っていたものが、少しずつ消えていく…現代を生きる私たちにとっても決して他人事ではないのかもしれません。
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