最近の若者は常識を知らない、そんな言葉を耳にすることがあります。
しかし、電車で席を譲られてもお礼を言わない高齢者や店員に横柄な態度を取る年配客を見て、疑問を抱いたことはないでしょうか。
年齢を重ねれば自然と人間的に成熟するとは限りませんし、むしろ長年の生活で染みついた「やってもらって当たり前」という感覚が、周囲との摩擦を生んでいる可能性もあります。
家庭での亭主関白が外でも通用する?感謝を忘れた高齢者の姿

カフェに入った高齢夫婦、夫は何も言わずに席へ向かい新聞を広げます。
一方、妻は注文や支払いを済ませ、飲み物を運び食事が終われば片付けまで担当します。
それでも夫から感謝の言葉はなく、むしろ妻に説教するような態度を取ることもあります。
こうした光景は、かつての日本で一般的だった亭主関白の家庭を連想させます。
もちろん、夫婦の役割分担そのものが悪いわけではなく、問題は相手の努力を認めず、何かをしてもらうことを当然だと思い込んでしまうことです。
長年、妻が身の回りの世話をしてくれる環境で暮らしていれば、そのありがたさに気づかなくなる人もいるでしょう。
例えば、店員に命令口調で接したり、若者に道を譲られても無言で通り過ぎたりする行動、本人にとっては普通の振る舞いでも、周囲からすれば横柄で非常識な態度に映ります。
ただし、こうした態度は高齢者全体に共通するものではなく、亭主関白な家庭で育った人が必ずそうなるわけでもありません。
最近の若者は…の裏側でZ世代が抱く違和感と反面教師
かつては年長者を敬うことが社会の常識とされ、職場でも家庭でも年齢による上下関係が重視されてきました。
しかし、現代の若者が必ずしも同じ価値観を持っているとは限りません。
特にZ世代にとって、年齢が上という理由だけで無条件に尊敬することには違和感があるのではないでしょうか。
職場で理不尽な要求をする上司や接客業で店員を見下す高齢者、そうした人々を目の当たりにすれば、なぜ年上というだけで偉そうにできるのか?と疑問を抱くのも自然です。
そしてその経験は、自分はあんな大人になりたくないという反面教師にもなります。
年齢や肩書ではなく、相手の言動によって人間性を判断しようとする姿勢には学ぶべき部分があるでしょう。
結局、「老害」と呼ばれる原因は年齢そのものではなく、自分の価値観を押し付け、周囲への配慮を忘れてしまうことにあるのではないでしょうか。
大切なのは、いくつになっても他人への感謝を忘れず、異なる価値観を受け入れる姿勢です。
若者から「あんな大人になりたくない」と思われるのではなく、「あんな大人になりたい」と思われる年の重ね方をしたいものです。
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