イケメン僧侶と大奥女中の狂乱!?江戸時代最大の衝撃「延命院事件」その末路とは?

イケメン僧侶と大奥女中の狂乱!?江戸時代最大の衝撃「延命院事件」とは?

江戸時代、華やかな権力の象徴として知られる「大奥」。

その舞台で巻き起こったスキャンダル「延命院事件」は、当時の社会を揺るがしただけでなく、現代に至るまで語り継がれる衝撃的な出来事です。

この事件の中心にいたのは、超絶イケメン僧侶として話題をさらった住職「日道(にちどう)」と、大奥の女中たち。

いったい彼らの間で何が起きたのでしょうか?

この記事では、延命院事件の全貌と、その背景にあった江戸時代の社会事情について紹介します。

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事件の舞台となった「延命院」とは?

事件の舞台となった「延命院」とは?
画像はイメージです。

延命院は、東京都荒川区日暮里に現存する日蓮宗の寺院です。

この寺は、4代将軍・徳川家綱の誕生を祈願したことでも知られ、特に子宝を祈る女性たちから信仰を集めていました。

当時、大奥の女性たちも跡継ぎの誕生を祈るために参詣することが多かったのです。

しかし、延命院の15代目住職となった日道が登場すると、単なる信仰の場が次第に異なる目的で賑わうようになりました。

日道は、歌舞伎役者と見間違うほどの美貌を持ち、特に女性たちを魅了しました。

その結果、江戸市中の女性のみならず、大奥の女中たちまでが頻繁に訪れるようになり、噂が噂を呼ぶ事態に発展していきました。

イケメン住職・日道とはどんな人物?

彼が延命院の住職に就任したのは寛政8年(1796年)、まだ30代前半の頃です。

その美貌と色気は、剃髪や法衣姿によってさらに際立ち、江戸中の女性たちの心を掴みました。

特に、大奥の女中たちの間では「一度は会ってみたい」「せめて姿を拝みたい」といった噂が広がり、参詣する女性が急増したのです。

享和3年(1803年)、延命院に関する不穏な噂が幕府の耳に届きます。

「大奥の女中たちが住職の日道と密会している」「延命院の内部には隠し部屋がある」「情交にふけっている」といった話が江戸市中に広まります。

大奥の女中たちの間では、日道と秘密の情事を重ねるうちに、燃え上がるような欲望に取り憑かれる女性が続出、禁忌の恋というスリルがさらに情熱を煽るようでした。

さすがに、幕府も事態を放置できなくなります。

この状況を受け、寺社奉行の脇坂安董(わきさかやすただ)が調査を開始しました。

脇坂安董は播磨国龍野藩の藩主で、外様大名出身ながら幕府の信頼を得て寺社奉行に就任した異例の人物です。

彼は正義感が強く、延命院の噂を徹底的に解明することを決意します。

しかし、大奥は幕府の「聖域」とされており、簡単には捜査に踏み込めない場所、そのため、脇坂は家臣(三枝右門)の妹を囮(おとり)として延命院に送り込むよう相談します。

脇坂「お椰に囮捜査を頼みたいのだが、どうだろう?」

三枝「妹を囮に……。しかし、他に方法はないのですか?」

脇坂「延命院の実態を暴くには、どうしても女性の協力が必要だ。お椰の知恵と胆力に期待している。」

三枝「本当にそこまで……?」

お椰「お役に立てるならば、喜んで参ります。ただ、囮といえども、私は命を賭ける覚悟です。」

こうして、内偵を進めることになったのです。

囮捜査で明らかになった衝撃の事実

囮捜査を行ったお椰は、大奥の女中に扮して延命院に参詣しました。

お椰はすぐに日道から誘われ、隠し部屋に招き入れられ、実際に日道と身を重ねることになります。

数度にわたる訪問を経て、お椰は延命院の内部事情を探り出しました。

その過程で、大奥の女中たちと日道の間でやり取りされていた恋文(艶書)が押収され、事件の全貌が明らかになったのです。

延命院の内部には、女性たちと密会するための隠し部屋や抜け道が存在しており、日道はこれらを巧妙に利用していたことが判明。

また、大奥の部屋方(下級女中)「ころ」が日道との間で妊娠し、堕胎を強要されていたことも発覚したのです。

これらの証拠が揃ったことで、脇坂は延命院への踏み込みを決行しました。

事件の結末

享和3年5月26日、寺社奉行の命により延命院に踏み込み日道は縄をかけられました。

その後の取り調べで、日道は59人の女性と関係を持ったと白状しました。

中には、大奥の女中だけでなく、大名屋敷に勤める女性たちも含まれていたのです。

この事件の影響は大きく、主犯の日道には「斬罪(死刑)」が言い渡されました。

通常、女犯の罪は「遠島(島流し)」が一般的でしたが、大奥が関与していたことから、幕府は極めて厳しい処罰を下したのです。

また、大奥の関係者の中には謹慎処分となった者もいましたが、上級女中には処罰が及ばないよう配慮がなされたとも言われています。

延命院事件は、当時の大奥の風紀の乱れを象徴する事件として今もなお語り継がれています。

この事件が発生した背景には、将軍家斉が多くの側室を抱え、大奥が過剰に膨れ上がったことが関係していました。

大奥の管理が行き届かず、内部の風紀が乱れることで、こうしたスキャンダルが生じたのです。

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まとめ

延命院事件は、美貌の僧侶・日道と大奥女中たちが巻き起こした江戸時代最大のスキャンダルです。

現代においても、延命院事件は人間の欲望とそれに伴う問題の深刻さを考えさせる教訓として受け止められています。

事件を通じて、「人間の三大欲求」と倫理のバランスについて改めて考えるきっかけとなるのではないでしょうか。

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