敵か味方か、命を救う判断とは…?
太平洋戦争の最中、命の危険を顧みずに敵であるイギリス兵422人を救った日本海軍の艦長がいました。
彼の名は工藤俊作(くどうしゅんさく)。
戦後もしばらく語られることのなかったこの行動は、今なお世界中で称賛されています。
敵艦を沈めた男、工藤俊作とは

工藤俊作は1901年、山形県高畠町に生まれました。
日本海軍兵学校第51期を卒業し、第二次世界大戦中には駆逐艦「雷(いかづち)」の艦長を務めた人物です。
身長185cm・体重95kgという屈強な体格を持ちながら、性格は非常に温厚で「工藤大仏」と呼ばれていたほどです。
艦内では暴力を一切禁止し、部下からの信頼も厚かったことで知られています。
そんな彼が歴史に名を残すことになったのが、1942年3月1日、スラバヤ沖海戦の直後です。
この戦闘で、日本海軍は連合国艦隊と交戦し、イギリスの重巡洋艦「エクセター」と駆逐艦「エンカウンター」を撃沈、海には多くの英兵が投げ出され、重油にまみれた状態で漂流しました。
命がけの決断「敵兵を全員救出せよ」
翌朝、駆逐艦「雷」は、海上を漂流するイギリス兵たちを発見します。
戦闘後の海域は依然として危険で、敵の潜水艦による攻撃の恐れもありました。
艦内では「敵兵を助けるのは危険すぎる」という声が上がる中、味方の爆撃機に誤認される可能性、敵潜水艦の襲撃リスク、そして兵站の問題、それでも工藤は、自分の命と部下の命を懸けてでも、命を救うべきだと判断、工藤艦長は迷わず命令を下しました。
「弱った者を見捨てることは人道に反する。敵兵を救助せよ。」
この命令により、乗組員たちはロープを使って救助活動を開始、しかし漂流していた英兵たちは24時間以上も重油の海を漂い、もはや自力で船に上がることもできないほど衰弱していました。
そこで、日本兵たちは次々と自ら海に飛び込み、力尽きた英兵を一人ひとり引き上げたのです。
こうして最終的に、422人のイギリス兵を救助することに成功しました。
救出された兵士たちを船上に上げ、毛布と食事を与え手厚くもてなし、彼らを「敵」ではなく、「人」として扱ったのです。
工藤艦長は、彼らに対して英語でこう語ったと伝えられています。
「You have fought bravely. Now you are the honored guests of the Imperial Japanese Navy.(あなた方は勇敢に戦った。今や日本海軍の名誉ある賓客です)」
この言葉に、多くの英兵が涙を流したといわれています。
語られなかった英雄譚と現代への教訓
工藤の人柄が垣間見える逸話は多くあります。
たとえば香港の戦闘で、陸上砲台からの砲撃を受けた際、雷の周囲には水柱が次々と立ち上がりました。
しかし工藤は動じず、いつも通りの落ち着きで操艦を部下に任せていたといいます。
その堂々たる姿を見た乗員たちは、こう思ったそうです。
「この艦は沈まない。艦長がいる限り、大丈夫だ」
指揮官の姿勢は、乗員の命をも左右する、工藤はそのことを行動で示したのです。
この救出劇に深く感謝していたのが、イギリス海軍の砲術士官だったサムエル・フォール中尉。
戦後は外交官として活躍しながら、ずっと工藤の消息を探していました。
1987年、フォール卿はアメリカ海軍の専門誌『プロシーディングス』に「武士道(Chivalry)」と題する7ページの投稿を発表し、工藤の行動を世界に紹介。
1998年には、天皇訪英を前に高まっていた反日感情の緩和を願い、『タイムズ』紙に投稿文を掲載しました。
しかし彼が工藤の消息を突き止めた時、工藤はすでに他界していました。
フォール卿は2003年に来日するも、墓所の特定はできず無念の帰国。
翌年、有志と研究者の協力により、山形県高畠町にある工藤の墓がようやく判明し、2005年、代理人が墓参を実現させました。
2008年12月7日、ついにフォール卿は66年越しの感謝を伝えるために工藤の墓前に立ちました。
護衛艦「いかづち」の乗員とともに、海軍武官も参列する中、彼は涙ながらにこう語ったのです。
「ジャワ海で24時間も漂流していた私たちを小さな駆逐艦で救助し、丁重にもてなしてくれた恩はこれまで忘れたことがない。工藤艦長の墓前で最大の謝意をささげることができ、感動でいっぱいだ。今も工藤艦長が雷でスピーチしている姿を思い浮かべることができる。勇敢な武士道の精神を体現している人だった」
それは、まるで映画のような本当の話…しかも、日英の未来をつなぐ絆の物語でもありました。
その後、世界でも「日本のシンドラー」と称えられることもあるなど、その名誉は国境を越えて称賛されました。
現在、彼の故郷・山形県高畠町には「工藤俊作顕彰碑」が建てられ、学校の道徳教育などでも取り上げられるほど、多くの人々の心に残る実話として伝えられています。
まとめ
工藤俊作の行動は、ただの戦争エピソードではありません。
それは「敵であっても命を尊ぶ」という、普遍的な人道の価値を示した、真の武士道の体現です。
極限の状況でも、人としてどう生きるかを選び抜いた工藤俊作の精神は、時代を超えて、私たちの胸に問いかけてきます。
平和な時代に生きる今だからこそ、彼のような選択に学びたい、そう強く感じさせられる物語です。
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