理想の妻・永遠の美人・品のある大人の女性、昭和の時代そうしたイメージを一身に背負い、男性だけでなく女性からも憧れの存在だった美人女優たち、しかしその輝きの裏側では、想像を超える恋愛トラブルや泥沼離婚を経験している女優さんも少なくありません。
なぜ彼女たちは、これほどまでに愛に翻弄されてしまったのか…今回は昭和芸能史に名を刻む美人女優3人の結婚と離婚を紹介します。
いしだあゆみ

- 出身地|大阪府
- 誕生日|1948年3月26日
歌手として、ブルー・ライト・ヨコハマが国民的ヒットとなり、その後は女優としても数々の名作ドラマ・映画に出演、儚さと芯の強さを併せ持つ存在感は、昭和後期を代表する女性像でした。
いしだあゆみさんの人生を大きく揺るがしたのが、俳優・萩原健一さんとの関係です。
不倫関係から始まり、正式な婚姻届を出さない事実婚という形で同居、しかしその生活は、逮捕・女性問題・素行不良などトラブルの連続でした。
献身的に支え続けたいしだあゆみさんでしたが、関係はわずか数年で破綻、泥沼状態で終わりを迎えました。
- 「あの透明感で、あそこまで耐えていたと思うと胸が痛い」
- 「昭和の“我慢する女”を象徴する存在だったと思う」
大原麗子

- 出身地|東京都
- 誕生日|1946年11月13日
和風美人・理想の妻と称され、CM・映画・ドラマで引っ張りだこだった大原麗子さん、優しく穏やかな役柄のイメージとは裏腹に、私生活は波乱万丈でした。
俳優・渡瀬恒彦さんとの結婚後、森進一さんとの不倫疑惑が週刊誌により報じられ、裁判沙汰にまで発展、世間からの激しいバッシングを受ける中、渡瀬恒彦とは離婚します。
その後、森進一さんと再婚するも、わずか数年で再び離婚、記者会見で語られた「家庭に男が二人いた」という衝撃発言は、昭和芸能史に残る名(迷)場面となりました。
- 「美人すぎたからこそ、幸せになれなかった気がする」
- 「時代が彼女に優しくなかったと思う」
岸惠子

- 出身地|神奈川県
- 誕生日|1932年8月11日
日本映画黄金期を支え、国際派女優としても成功を収めた岸惠子さん、凛とした美しさと知性は今なお本物の女優と語り継がれています。
フランス人映画監督との国際結婚は、当時としては極めて先進的でしたが、異国での生活は孤独と忍耐の連続、夫の度重なる女性問題により約18年の結婚生活に終止符を打つことになります。
68歳で日本に帰国した際に語った「私は日本人だった」という言葉は、自由の代償の大きさを物語っています。
- 「気品は年齢を重ねるほど増していった」
- 「自分の人生を貫いた強さに憧れる」
まとめ
耐えることが美徳、男を立てるのが正解という価値観の中で、彼女たちは輝き続けることを求められながら、私生活では深く傷ついていったのです。
泥沼離婚はスキャンダルとして消費されがちですが、その裏には必死に生き、愛そうとした一人の女性の人生があります。
今だからこそ、彼女たちの生き方を失敗談ではなく、時代を映す鏡として受け止める必要があるのかもしれません。
あわせて読みたい|マタイク(mataiku)