万引き、いじめ、私たちは日々ニュースやSNSの中でこうした言葉を当たり前のように目にしています。
しかし、それらの言葉が本来指している行為を、私たちはどこまで正しく理解しているでしょうか?
最近、日本が好きな外国人がSNSで「窃盗を万引き、暴行をいじめと呼ぶのはおかしいのではないか」と指摘し大きな共感を集めました。
言葉の配慮が、罪の重さを曖昧にしていないか
今回話題になった投稿は、「日本語の表現が豊かだというなら、なぜ犯罪行為をわざわざ軽く聞こえる言葉に置き換えるのか」という素朴でありながら本質的な疑問でした。
確かに、日本では窃盗は万引き、暴行・傷害はいじめと呼ばれることが多く、ニュースや日常会話でもすっかり定着しています。
しかし実際には、万引きやいじめは法律用語ではなく、法的にはすべて窃盗罪、暴行罪、傷害罪などの犯罪行為に該当します。
言い換えによって生まれる最大の問題は、罪の重さが感覚的に軽く伝わってしまう点で、同じ行為でも言葉ひとつで受け取られ方が大きく変わります。
実際、近年は不祥事ではなくトラブル、不正ではなく不適切といった表現も多用され、事実よりも当たりの柔らかさが優先されているように見える場面も増えています。
言葉を和らげることで、社会全体が犯罪の深刻さに鈍感になってしまってはいないでしょうか?
言語の豊かさとは本来、現実を正確に伝える力や事実と責任を明確にする表現力を含んでいるはずです。
だからこそ、悪いことを悪いときちんと呼ぶこともまた、成熟した社会に必要な言葉の使い方ではないでしょうか。
外国人の指摘が共感を集めたのは、多くの人が心のどこかで同じ違和感を抱えていたからなのかもしれません。
SNSの声は…
「アレもそうですよ、闇バイト。バイトじゃねーただの強盗(犯罪)だわっ」
「手を出したらいじめではなく暴行、この認識広まってほしい」
「どちらも犯罪という意識が足りない。言葉が軽いから軽い気持ちでやっちゃう所はあると思う」
「売春をパパ活と呼ぶのもどうかと思う」
「表現の豊かさではなく誤魔化してるだけ」
「この人を批判した輩のほうが 日本語をわかっていない」
「これは誰もが抱いていた違和感」
「仰る通りで世界一難しい言語の一つである日本語の曖昧さがそれですね」
「万引き=窃盗罪。いじめ=脅迫&恐喝&暴行傷害罪。」
「犯罪者側の論理が一方的に発達した形。被害者側は置いてきぼり。いびつ」
「害者の人権なんてもはやどうでもええわ」
「おっしゃる通りです。日本人以上に日本語を理解してくださってることに感謝です」
など、多くの反響の声が寄せられています。
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