実は、江戸時代の銭湯は混浴が一般的だったことをご存じでしょうか。
そこで、男女が一緒に入浴していて痴漢や性犯罪などのトラブルはなかったの?と、疑問に思いますよね…実は江戸幕府は混浴を何度も禁止していましたが、その習慣は簡単にはなくなりませんでした。
江戸時代の銭湯は男女混浴だった
江戸の銭湯は、1591年に伊勢与市という人物が開業したものが始まりと伝えられています。
当初は蒸し風呂が中心でしたが、やがて湯船につかる形式が広まり、男女が一緒に入浴する「入込湯(いりこみゆ)」が一般的になりました。
当時は長屋暮らしが多く、自宅に風呂を持たない庶民にとって銭湯は欠かせない存在でしたが、燃料代や建設費の負担が大きく、男女別の湯船を設けることが難しかった事情もあります。
では、混浴による性的なトラブルはなかったのでしょうか…実際には当時の銭湯でも風紀上の問題が指摘されていました。
さらに、江戸時代には「湯女(ゆな)」と呼ばれる女性が働く銭湯も存在、湯女は客の背中を流すなどの世話をしていましたが、一部では売春などの性的なサービスも行われ、幕府の取り締まり対象となりました。
ただし、湯女による売春と混浴中の性犯罪は別の問題です。
当時の銭湯は近所の住民が集まる交流の場でもあり、顔見知りが多く周囲の目が犯罪の抑止力になっていた可能性も考えられます。
なお、江戸時代にも性的暴行に対する刑罰は存在し、1742年の公事方御定書には、押而不義と呼ばれる犯罪への処罰が定められていました。
婚姻関係などによっては死罪となる規定もあり、決して性犯罪が許されていたわけではありません。
幕府が何度も混浴を禁止、それでもなくならなかった理由とは?
江戸幕府が混浴を本格的に取り締まったのは、松平定信による寛政の改革の時代です。
幕府は、男女が一緒に入浴することを風紀の乱れにつながるとして、男湯と女湯を分けるよう命じました。
しかし、禁止令が出されても混浴はなくならず、狭い銭湯に新たな湯船を設置するには費用がかかる上、長年続いてきた生活習慣を変えることも容易ではなかったためです。
その後、1840年代の天保の改革では、水野忠邦が再び混浴を厳しく取り締まりました。
それでも地方によっては混浴が続き、幕末に日本を訪れた外国人たちは男女が一緒に入浴する光景に驚いたといいます。
明治時代になると、新政府も混浴を禁止する方針を打ち出します。
つまり、江戸時代から続いた混浴文化は、一度の禁止令でなくなったのではなく、社会の価値観や生活環境の変化とともに徐々に姿を消していったのです。
現代では男女別の入浴が当たり前ですが、わずか数百年前にはまったく異なる文化が広がっていたことを考えると、日本人の価値観の変化がよく分かります。
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