二人目の産後、帝王切開による脊椎麻酔で下半身麻痺になった体験談。
帝王切開により突然車いす生活を余儀なくされた現在の心境や帝王切開による術後の痛みやリスクについて少しでも多くの方に届けたい思いで綴ります。
車いすで子育てに奮闘する姿もぜひご覧ください。
長男・小学2年生
次男・1歳
の2人のママです!
次男出産の帝王切開後に、下半身不随になり今は、車いす生活を送っています。
少しでも多くの方に出産の奇跡を知って欲しいという想いでこのブログを書いています。
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最近、ずっと行けないままだったリハビリにやっと通い始めました。
自分の治療、子供の病院、リハビリと、何かと毎日忙しい日々です。
…変わらず足の痛みは強いままです。
退院してから、自力でぼちぼちリハビリをやっていました。しかし、自分では限界があるし甘えも出るっていうのも分かっているので、車が来て自分で行けるようになってから….
と思っていたら今ごろになってしまいました(T-T)
リハビリは、自分の希望をまず先生に伝えて一緒に考えつつ、理学療法士さんに進めてもらう形になります。
足の筋力がかなり落ちてしまったので、今以上に落ちないように、そして、筋肉をつけるためのリハビリメニューです。
筋肉を動かすと痛みを伴いますが…我慢あるのみです(>Д<)
正直めっちゃ辛いです……。
でも、自分のため、子供たちのために頑張っています!
…また歩くために!!!
今回は前回の記事の続きにいく前に、次男妊娠前、私に起こった思いもよらない出来事をお話します。
それはあまりにも突然のことでした…
会社の健康診断を受けた父の体に異常が見つかり入院することになったのです。
当時、父と一緒に同居していましたが、最初はそんなに大事とは思っていませんでした。
しかし、誰もが思わぬ病気が発覚したのです……。
『アスベスト』による『中皮腫』です。
電気工事士の父は若い頃に現場で建設中の建物に入って工事をしていました。
もちろんのこと、同じ会社の方も父と同じような仕事をしていたのですが、会社内でアスベストになっている人がいなかったため、前例がないとのことでした。
そのため、労災がなかなかおりず、すごくたくさんの手続きなどをして大変だったのを今でも覚えています。
その後、父の病状は少しずつ悪くなっていきます。
発覚後まもなくしてカニューラという、鼻から酸素を吸う装置を常に付けていないと呼吸が苦しくなる状況までになりました。
長男が1歳を過ぎたクリスマスイブの日…
父が倒れたと連絡が…急いで病院へ向かいました。
『脳内出血』でした。
脳の手術は成功して、意識もちゃんとありました。
とりあえず一安心…。
しかしながら、中皮腫という病気のため他の機能にも障害が出てきて、肝機能なども悪くなってしまい、長い長い入院生活が続きます…。
母はほぼ毎日、父の看病のために自宅から往復何十キロもある病院まで通っていました。
そんな生活を続ける母のことが心配なこともあり、私たち兄弟から母へ、たまには休んでもいいんじゃない?と問いかけたところ…
母は『お母さんがいた方がお父さんも寂しくないだろうし、少しでも家にいるような感じがして安心するだろうから、お母さんは行くよ』と言っていました。
さすがやなぁと…涙が出そうになりました。
父は喉を切開しており、食事を口からは摂ることができないため、胃ろうでした。喉を切開して人工呼吸器を付けていることで、会話もできません。
かろうじて右手は少し動いていたので、ホワイトボードに字を書いて意思疎通はできていました。
リハビリも兼ねて母が父に問いかけては、ホワイトボードに字を書いて会話をする日々。
そんなやりとりの中で、時には父も笑うことがありました。
口から食事がとれなくても…会話ができなくても…
私は、そんな生活がずっと続くと思っていました…
帝王切開で車いす生活になった私。