1945年8月15日、日本は終戦を迎えましたが、その事実を知らぬまま、約2年間も木の上で暮らし続けた日本兵がいたことをご存じでしょうか。
2025年公開の映画『木の上の軍隊』のモデルにもなった、2人の日本兵の壮絶な生存劇を振り返ります。
木の上で始まった壮絶な生活
1945年4月16日、沖縄県伊江島にアメリカ軍が上陸し、わずか6日間の激しい戦闘で日本兵約2,000人と島民約1,500人が犠牲になりました。
日本軍の部隊が次々と壊滅する中、宮崎県出身の山口静雄さんと沖縄県出身の佐次田秀順さんは、負傷した体を引きずりながら敵兵の追跡を逃れていました。
当初は壕に身を隠していたものの、内部にはアメリカ兵の遺体があり、安全な場所とは思えなかったといいます。
そこで2人が目をつけたのが、枝葉を大きく広げたガジュマルの木、遺族の証言によると、2人は別々の木に登り、枝や葉を組み合わせて地上から姿が見えないように工夫し、昼間はその中で息を潜める生活をしていたと言います。
しかし、木の上に隠れたからといって危険が全くなかった訳ではなく、山口さんは銃弾が頭をかすめて目の下の骨を折り、肩にも被弾したほか、太ももを銃弾が貫通して木から落下したこともあったと家族が証言しています。
さらに、2人を苦しめたのが毎日の食料確保で、ある夜、佐次田さんが地面に落ちていた柔らかいものを踏み、周囲を調べたところ、偶然にもアメリカ軍のゴミ捨て場を発見、そこにはソーセージや缶詰の食べ残しなどが捨てられており、2人は敵兵の軍服を拾って身につけ、夜間にゴミ捨て場へ通うことで飢えをしのぐようになります。
とはいえ、眼下ではアメリカ軍が飛行場の拡張工事を進め、戦闘機や爆撃機が次々と配備されていきます。
周囲に味方の姿はなく、いつ発見されるかも分からない中で、2人は夜が来るたびに命がけで食料を探し、再び木の上へ戻る生活を繰り返していたのです。
終戦後、2人を木から降ろした意外な出来事
2人が潜伏生活を続けていた1945年8月15日、日本は終戦を迎えました。
伊江島では戦闘を生き延びた住民の多くが別の島へ移されており、木の上から見えるのはアメリカ軍の兵士や飛行機ばかり、2人は島民が全員殺されてしまったと思い込んでいたとも伝えられています。
それから約1年半が過ぎた1947年、島民が伊江島へ戻り始めると、2人が隠していた食料が何者かに持ち去られるようになりました。
不思議に思った2人が食料を取らないよう求める手紙を残したところ、数週間後、住民から日本の兵隊に向けて戦争は終わったと繰り返し呼びかける声が聞こえてきたといいます。
こうして2人は、ようやく約2年間に及ぶ潜伏生活に終止符を打ちました。
後年、佐次田さんは当時を振り返り、いつ殺されるか分からない恐怖が続いた2年間は、平和な10年間よりも長く感じられたと語っています。
また、山口さんという仲間がいたからこそ生きる希望を失わずに済んだとも明かしており、2人の存在が互いの精神的な支えになっていたことがうかがえます。
その後、山口さんは37歳で宮崎県の故郷へ帰り、妻と4人の子どもたちとの再会を果たしました。
2人が身を隠したガジュマルは、戦争の記憶を伝える存在として伊江島で守られています。
あわせて読みたい|マタイク(mataiku)