妊娠や出産はお腹に赤ちゃんがいる幸せな時間だけではなく、つわりの苦しさや不安、パートナーとの意見の違いなど家族それぞれにドラマがあると思います。
筆者は現在45歳、2歳の子供がいます。
妊娠したのは42歳、いわゆる超高齢で妊娠&出産をしました。
不妊治療の末やっとできた妊娠、多分これが最初で最後の経験だから、悔いのないマタニティライフを満喫しようと思っていたのですが、見栄っ張りな性格から怒涛の出産となったのです。
不妊治療時代って妬みだらけ
30代半ばで結婚、子どもは欲しいけれどなかなか妊娠せず気付けば40歳目前、「現代医療の力を借りてやるだけやってみよう!」と不妊治療のクリニックに行くことを決意しました。
検査のエコーで見えたのは子宮後屈と直径6センチほどの子宮筋腫。
筋腫は大きいけど子宮の外側にあるから、「除去手術をするより不妊治療を進めましょう」とのことで、タイミング法を2回、人工授精を4回やりました。
どちらも妊娠確率数%、当然のように妊娠はせず最後の頼みの綱、体外受精へ。
体外受精は治療代がぐんと上がりますが、受精卵を子宮に戻す神秘的な瞬間を見る事ができ幸福感に包まれます。
その時から気分は妊婦さん、お腹に手を当てながら着床するのを祈って待つのです。
毎朝緊張しながら基礎体温を測り、少し低くなると何度も測りなおしたり、ネットで検索しまくったり、クリニックの妊娠判定日まで待てずに妊娠検査薬でチェックしてみたり…。
妊娠検査薬のチェックでは妊娠の線は拝めず、妊娠判定日には足取り重くクリニックに向かいます。
先生や看護師さんとは爽やかに、「高齢だから仕方ないですよね、次回も宜しくお願いします。」などと話していましたが、心はどんより。
妊娠できない悔しさと自然に妊娠できる人への嫉妬で、自分が嫌いになりそうでした。
夫婦でやけ酒をし、子宝神社に足を運び、ホルモン注射の痛みに耐え、仕事の調整をしながら続けた体外受精が実を結んだのは、4年経った頃です。
検査薬で出てきた線が日に日に濃くなっていくのが嬉しくて、毎日試しました。
待ちに待った妊婦ライフに突入できる!と思ったのですが、子宮筋腫は4年の間に9センチまで成長していたのです。
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妊娠って不安だらけ
40代で妊娠すると、妊娠高血圧や染色体異常の確率が若い人と比べて高くなるといわれています。
それに加えて筆者は大きい筋腫持ち、切迫流産や早産の危険性も上がっていました。
妊娠初期はエコーをしても筋腫が邪魔をして胎児を探すのも一苦労。
胎嚢が見つからなくて「流産かも?」と言われ、不安のなか次の診察を迎えたこともあります。
また生理の時のような出血が度々あり、病院に相談すると「今は安静にするしかない」と言われ、出血にも怯えながら生活をする日々。
検診の時、お医者さんにこの不安をお話すれば良かったのですが、エコーで動く子どもを見ると嬉しくてハイになってしまうのと、「高齢だからこそちゃんとした妊婦にならなきゃ」と考えてしまい、質問に明るく答えてしまうのでした。
家でゆっくり?出来ています。
お腹の張り?ありません、と。
本当は張りがない、ではなく、どの状態が張りなのかを知らなかったのです。
時々硬くなるけれど「痛みはないないから大丈夫!」と、自分に言い聞かせてておりました。(もうお気づきの方もいると思います。張っていました)
ずっと悩まされていた出血は、お腹が大きくなってきた頃に前置胎盤が原因だということが分かります。
ついに筆者は、超高齢+子宮筋腫+前置胎盤=帝王切開確定のスーパーハイリスク妊婦となったのです。
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出産ってドラマだらけ
出産は里帰り出産を予定していたのですが、地元でスーパーハイリスク妊婦を受け入れてくれる所は大学病院一択。
選択の余地はないのです。
前置胎盤ということで、少し早めの30週から里帰り先での診療が決まっていました。
ところが診察の前日、突然足から生温かいものが流れてくるのです。
まさか破水?と頭をよぎりましたが、量が少なかったので「ここで慌ててはいけない、この時期だからきっと尿漏れのはず、明日の検診で報告すれば大丈夫」と、自分に言い聞かせて一晩を過ごしました。
……みなさんお気づきでしょう。
尿漏れだと思いこんでいたのは、やはり羊水が破水していました。
里帰り検診初日で即緊急入院という、迷惑極まりない妊婦となってしまうのです。
破水するとすぐに出産!と思っていたのですが、羊水がなくても赤ちゃんはしばらく大丈夫とのこと。
それよりも胎児の肺機能がまだ完成していないため、少しでもお腹で成長させる為に、ステロイド注射を打つことに。
実家に連絡を取って入院手続きやら入院道具を揃えてもらい、夫には「もう産まれそうだけど名前をどうしよう」と相談しながら、予想外の入院生活が始まったのです。
(出産予定日まで時間があったので、名前はゆっくり決めようと話していました)
張り止めの点滴を打ちながら、一日中ベッドに横になって過ごします。
そうなると助産師さんとの会話が一番の楽しみで、助産師さんの心配りから筆者の見栄っ張りが消えて、素直に話せるようになりました。
ある時、お腹の張りってどんな状態なのか分からない、と正直に言えたのです。
胎児が動いてお腹が硬くなっているのが張りですか?みぞおちが苦しくなるのは違いますか?
と、いろいろ質問してあれこれ聞いていくと、どうやら筆者は以前から張っていたようだと知りました。
もうガッカリしました。
もっと早く張りに気付いていたら、張り止めのお薬を処方してもらえてただろうし、そうすれば破水せずに済んだかも知れない。
変な見栄を張らなければ良かった!!
お腹の赤ちゃんに「苦しい思いをさせてしまってごめんね。ピンチに気付けないダメな母親でごめんね」と語りかけました。
「今まで頑張ってくれてありがとう。ここはもう病院だから何があってもきっと大丈夫。二人だけの時間をゆっくり過ごそうね。」と。
入院してから6日目、帝王切開により1,600グラムで出産しました。
か細い泣き声が聞こえた時、産まれてきてくれた喜びと、無事に子どもを取り上げてくれた医療チームへの感謝で、涙がとまりませんでした。
すぐにでも子どもに触れたかったのですがそれは叶わず、身体も小さく自発呼吸も不安定で、そのままNICUへ運ばれました。
最後に
緊急入院してから2週間後に筆者は一人で退院しました。
入院した日に着ていたマタニティ服を身にまとうと、空っぽのお腹にはぶかぶかで、とても不思議な感じで帰ったのを今でも覚えています。
1,600グラムで生まれた子は約2か月間、NICUでお世話になりました。
最初は同年代の赤ちゃんと比べて小さかったけど、子どもの生命力の強さで今では平均よりも大きく元気に育っており、笑い話として話せることに感謝しています。
長い体験記となってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?
今振り返ると、「子どもが元気に産まれてきてほしい」という気持ちゆえの不安は、高齢だろうが若かろうが出てくるものですよね。
高齢だからと言ってその不安を隠す必要はなかったな、と思います。
これから出産を迎えるプレママさんへ、素直に不安を伝えられる誰かや何かに出会え、少しでも心穏やかに過ごせることをお祈しております。
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