江戸時代から明治時代へ、日本史の中でもこの時代ほど短期間で社会の仕組みが大きく変わった時期はありません。
200年以上続いてきた社会は、なぜこれほど急速に変わったのでしょうか…。
黒船がやってきて江戸時代のままではいられなくなった

江戸時代の日本では、江戸幕府を頂点として全国に200以上の藩が存在し、それぞれの大名が領地を治めていました。
幕府は参勤交代などによって大名の力を抑え、海外との交流も制限することで長期間にわたって国内の安定を保っていました。
ところが、その間に海外では産業革命が進みます。
欧米諸国では工業力が急速に発達し、軍艦や大砲などの軍事技術も進歩、さらに資源や市場を求めてアジアへの進出を強めてきます。
そんな状況で1853年、ペリー率いるアメリカ艦隊が日本へ…圧倒的な軍事力を前に幕府は戦争を避け、開国への道へ進みます。
しかし国内では、外国の要求を受け入れて本当に日本を守れるのか?と幕府への不満が拡大、外国を追い払う「攘夷」の考えも強まり、薩摩藩や長州藩も外国勢力と衝突します。
ところが、実際に戦ってみるとその力の差は歴然、ここで外国を追い払えばいいという考えは現実的ではないことが見えてきます。
日本を守るには、外国を拒絶するのではなく、その技術や制度を取り入れて自分たちが強くならなければならない、こうして幕府の権威が低下する一方、薩摩や長州などが力を持ち、大政奉還、王政復古、戊辰戦争を経て江戸幕府の時代は終わります。
幕府をなくしただけでは日本は強くならなかった
新政府が引き継いだ日本には、依然として全国に藩があり、それぞれが財政や軍事力を持っていました。
そこで1871年に行われたのが廃藩置県です。
藩を廃止し、政府が全国を直接統治することで、初めて日本全体を一つの方針で動かせる体制が整っていきました。
江戸時代まで戦う役割を担っていたのは主に武士、しかし各地域の武士に頼っていては、全国を守る近代的な軍隊を作ることはできません。
そこで1873年には徴兵令が出され、武士だけではなく一般国民からも兵士を集める仕組みが導入されます。
当然、国を発展させるには莫大なお金も必要、同じ時期に地租改正を進め、土地の価値を基準として現金で税を納める制度へ変更しました。
国を一つにまとめ軍隊を作り、それを支える安定した税収を確保する、ここまで来てようやく新しい日本を動かすための土台が見え始めます。
国の土台を整えた明治政府は、外国人技術者を招き、欧米から機械を購入して工場を建設し、鉄道や郵便、電信といったインフラも全国へ広げていきました。
人々の生活にも西洋の文化が入り込み、街並みや服装、教育なども変化、いわゆる「文明開化」です。
1853年の黒船来航からわずか20年ほど、日本は外から押し寄せた大きな変化に対応するため、江戸時代までの仕組みを次々と作り替え、新たな日本という近代国家を明治政府のもとで作り始めたのでした。
教科書では別々に覚えた出来事も、時代の流れを追っていけば、明治政府が新しい日本を作り上げていく一連の改革だったことが見えてきます。
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